仕事をしているころは、職場で評価されるということはありませんでした。
普通の勤務成績だったし、可もなく不可もないといったところでしょう。
職場では、みなから評価されていて、その人がいないと困るという人もいました。
管理職を狙うような人です。
自分もそんな人になれればと考えたころもありましたが、正直そういう人は大変そうでした。
残業もしなければならないし、ストレスもたまるでしょう。
定時に帰りたいそしがやには、できませんでした。
無理したくなかったのです。
公務員だからそういう勤務ができたのかもしれません。
こういうのを「二流職員」というんでしょうね。
さていつも読んでいるmsnニュースを読んでいたら、そんな「二流社員」についての記事が載っていました。
民間企業の例がほとんどなので、職員ではなく、社員になっていますが、公務員の場合とそんなに変わらないと思います。
収入や名声に背を向け、あえて「二流」の生き方を選ぶ人が増えている。「一流」と呼ばれる人は確かに華々しいが、それ相応の苦労もあり、必ずしも幸せとは言い切れない。一方、「三流」と思われる人生も嫌だ。そこで注目されるのが、重圧も少なく自分のプライドも保てる「二流」という生き方だ。
確かに「一流」になるのは苦労が多いです。
「二流」くらいがちょうどよさそうです。
そしがやもそのくらいの生き方を目指してきたように思います。
この記事では、いくつかの例が紹介されています。
みな一流への道をあきらめて、二流で生きる決意をして、幸せになっているというものです。
まず紹介するのは、すでに会社を定年退職したSさん(60代男性)。山梨県の地元企業に高卒で入った彼は、入社後、予想外にも「出世ライン」に立たされたという。そしてそこで、彼は早くも二流の生き方を選んだ。
それは、米国勤務の時だったそうです。
あと2年、米国にいてほしいと本社から言われたときのことです。
「本社には『これ以上米国滞在はできません』と言い、日本に帰ってきました。以降、仕事はきちんとやりましたが、管理職への昇進は決してしませんでした。何度か要請されたものの、その度に断ったんです。自分の人生を、会社に捧げることはどうしてもできませんでした。40代後半からは、会社側も諦めたのか、私に出世の話を持ってこなくなりました」(Sさん)
その後Sさんは、昇格はしなかったものの仕事もきちんとこなし、趣味の生活も楽しみ、二人の子の父としての責務もしっかり果たしたとのことです。
こういう生き方って、いいですね。
そしがやもこの方のような人生を生きてきたつもりです。
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