1983年のラングーン事件といっても覚えている人は、少ないかもしれません。
北朝鮮が、ミャンマー訪問中の全斗煥韓国大統領の暗殺をもくろみ、合計21名の死者を出した事件です。
この本は、その実行犯の一人である北朝鮮テロリスト、カン・ミンチョル(以下ミンチョル)の証言を記録し、周辺資料を集めたものです。
そしがやは、ラングーン事件について、この本によっていくつかの事実を知りました。
まずは、このラングーン事件と韓国の光州で起きた光州民主化事件とが密接に関連していたということです。
光州事件というのは、1980年の5月に韓国南部の光州市で学生と軍隊との間で武力衝突が起き、多くの人が亡くなったというものです。
当時は、韓国は、軍事政権下でした。
そんな中に起きた学生と軍隊との衝突に対して、北朝鮮は、チャンスだと考えたというのです。
韓国内に政府に対して不満が高まっている。
革命前夜のような状況になっている。
だから韓国首脳を狙ったテロを行えば、韓国政府を転覆させることができるかもしれないと北朝鮮側は、考えたというのです。
これって、北朝鮮が朝鮮戦争を起こした時の現状認識と共通していますね。
その時は、韓国内には、北朝鮮軍が侵入すれば、一斉に蜂起する革命勢力がいるという認識がありましたが、韓国内では、一切そういう動きはありませんでした。
北朝鮮側の認識の甘さがこのラングーン事件でも明らかになっていますね。
他にも全斗煥大統領のビルマ訪問が、危険だという側近の意見があったにも関わらず、実行されたこと。
実際にテロが行われたときには、ちょっとした偶然で全斗煥大統領が被害を免れたこと。
こういったいくつかの事実は、この本を読んでいて、知りました。
この本のテーマである実行犯のミンチョルについてもかなり詳しく触れられています。彼の出生から軍隊における訓練の様子などです。
ラングーン事件におけるミンチョルの実際の動きについても詳細に述べられています。
その中で一番驚かされたのは、テロが終わった後のテロリストの帰還手段が用意されていなかったということです。
テロリストを救出するはずの船がミャンマー政府によって、入港を許可されなかったからです。
この事実は、テロリストへは、知らされていませんでした。
テロリストにとっては、このテロは、片道切符だったということです。
テロが成功しても失敗しても北朝鮮に帰る方法はなかったのです。
ちょっと悲しいですね。
それにテロのあと北朝鮮は、これは、韓国側の自作自演劇であると主張して、自国によるテロの存在を否定します。
これもテロが起きた時の北朝鮮側のいつもの常套手段です。
3人のテロリストの中で唯一生き残ったミンチョルは、当初は、ミャンマー側の捜査に対して、かたくなに拒んでいますが、治療に誠意をつくしたミャンマー側に次第に心を許すようになります。
そしてミンチョルの心にも変化が起きます。
捜査に協力的になり、すべてを告白します。
最後には、キリスト教に入信して余生は、韓国で送りたいという気になりますが、北朝鮮との融和政策をとるその後の韓国政府には、邪魔な存在になり、韓国への帰還もかないません。
ミンチョルは、北朝鮮からも韓国からも見捨てられたわけです。
これも辛い事実ですね。
結局ミャンマーの刑務所で死を迎えます。
北朝鮮のテロリストというと有名なのは、大韓航空機爆破事件の金賢姫ですが、現在も韓国で健在な彼女と比べるとミンチョルは、完全に忘れられたテロリストです。
個人的には、韓国へ帰還することだけは、叶えてあげたかったと思います。
この事件の後も次から次へと北朝鮮によるテロ事件が起きています。
一番記憶に新しいのは、2017年のクアラルンプールで金正日の長男の金正男が暗殺された事件でしょう。
実行犯のベトナム人とインドネシア人の二人が逮捕されていますが、後ろから指示をした北朝鮮人たちは、無事、北朝鮮に出国しています。
自国民は、逮捕されないようにできたというのは、ラングーン事件に比べると北朝鮮側も少しは、テロにおいても自国民を大事にするようになり、進歩したということでしょうか。
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