そしがやのリタイア日記

リタイアした公務員の日々の生活を書いていきます。学生生活、投資、などなどです。

そんなに有能な人ばかり必要?

勤めているころは、有能だと言われる人がいて、自分もそうなりたいと思ったことがありました。

それなりに努力もしてきたつもりです。

ですが、もともとの能力の差があったせいか、そういった有能な人に追いつくことは出来ませんでした。

どちらかというと組織の中では、無能な方だったと感じています。

 

ですから、途中から諦めてしまい、自分なりにできる範囲で仕事ができればいい、と考え始めてから、気持ちがラクになりました。


こんな記事を読みました。

news.nifty.com

ネット上では、「使えない新人」「無能な上司」など、無能な人に対しての批判的な記事を目にすることがあります。

そんな風潮に対しての疑問を呈したのが、今回の記事で取り上げられている投稿です。

投稿者は、「無能のせいで世の中がこうなってしまっている」「有能な人間はそれに足を引っ張られている、だから無能は滅びろ」などと無能を嫌う人たちは、さほど有能とは思えないという。有能・無能は相対的なもので、「世の中の人を全て比較していけば99%の人は無能な人間」であり、残り1%の人たちだけを集めても、今度はその中で有能無能が分かれるとしている。

この投稿では、有能・無能は、相対的なものだとしています。

何かホッとしますね。

個人の能力に依存しないで、全体のシステムでカバーしていく必要がある
つまりほとんどの人類が無能であり、「無能は滅びろ」は、「人類が滅びることと同義」と自論を語る投稿者。個人の無能が目立つときは、それを補うはずの「『組織』や『教育』に問題があると考えるのが筋だ」と意見した。

組織が個人の有能さを求めるのではなく、全体のシステムの中でカバーしていくべきだというのが投稿者の意見です。

こんな問題提起もしています。

「日本の組織の問題点は平社員や中間管理職、教師、アルバイト店員などといった、本来は無能でもさほど問題ないはずの末端の人々にまで有能さを求めてしまっている事にあるのではないだろうか」

これって、日本社会の長所とされてきた点でしょう。

よく日本社会と他の社会とを比較したものを読むと日本の場合は、末端の労働者が非常に優秀で真面目に仕事をしていると言われます。

事実だと思います。

海外に旅行したときには、よく感じました。

 

ということは、この投稿者が主張するように本来は、そんなに無能でも問題ないはずの末端の人々にまで有能さを求めているのが、日本の社会だというのは、間違いありません。

 

この投稿には、共感できますね。

こういった点が日本社会が行きにくい理由でしょう。
やはりこの投稿者が述べているように平凡な人には、有能さを求めるという過度の期待をしないほうが社会がうまく回って行くような気がします。

 

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