路上生活者というと大学へ行く途中の小さな公園で時々見かけることがあります。
50歳ほどの男性で、公園のベンチに座っていることが多いです。
隣には、全財産が入っているであろう、かなり大きなバッグが置いてあります。
これから寒くなる季節を迎え、大変だろうと思いながら、いつも通り過ぎます。
どんな経過で路上生活者になったのか、知りたいところですが、そんな路上生活者についての記事を読みました。
7月上旬、福岡市内のファストフード店。注文しなくても入れる飲食スペースで、路上生活を始めて間もない男性(51)は客が食べ残したポテトをつまんだ。食べ物を口に入れるのは4日ぶりだった。
この男性は、もともとはサラリーマンで独身で年収は1千万円台でした。
ですが、3年前、心のリズムが崩れ、心臓病や糖尿病も患い、出社できなくなって4月に辞めてしまいました。
退職金は、なく、失業手当は会社との手続きが苦痛でしていないとのこと。
コロナ禍で苦しむ知り合いの飲食店主の求めで750万円もの大金を貸してしまったということが引き金になり、路上生活者になってしまっというものです。
こういうケースを考えると年収1000万円もあって、独身であれば、それなりの貯金もあってしかるべきですが、あまりなかったようです。
それに出社できないのであれば、休職して、病気の治療に専念することもできたでしょうが、それもしていないし、失業手当の手続きもできないということは、心の病を患っているということでしょうか。
それ辺りについては、触れていないので、分かりませんが、もう少し取材をしてほしいところです。
自分で何とかする―。いわゆる「エリート」として第一線で働いてきた自負。「最終的には生活保護(公助)という仕組みがある」と、時の宰相が唱えた際に併せて強調した「自助」の大切さ。それが、生活保護という選択から遠ざけた。
ここまで追い詰められてしまっても元「エリート」だったという自負のせいか、この男性は、生活保護という選択肢を取ることがなかなかできなかったようです。
この記事では、この男性に当てはまるかどうかは分かりませんが、一般的に生活保護の申請時に行政が家族に援助できないかどうか確認することへの抵抗感は相当に強い、と強調しています。
この男性の家族状況は、この記事では触れられていませんが、やはり家族に知られるのが嫌だったのでしょうか。
9月末。男性は歩くのもつらくなり、生活保護を申請した。公園で寝泊まりした3カ月で気付いたことがある。「政治は一番弱いところに届いていない」
最後には、この男性は、生活保護を申請しました。
まずは、良かったと思いますが、この記事を読んでいると路上生活者になってしまったのには、いくつかのポイントがあるような気がします。
この4月に簡単に会社を辞めてしまったこと。
51歳という年齢を考えれば、休職等会社の制度を利用して、頑張れなかったのか。
辞めた後はなぜ、失業保険の申請をしなかったのか。
それに最後のダメ出しとなった、お金をなぜ安易に貸してしまったのか。
このいずれもが、「心がプツッと切れた」ことが原因のようです。
この理由については、この記事は、説明していませんが、もし心の病なら、生活保護になっても、治療をしっかりしてほしいですね。
そうでないと生活保護を受けても立ち直れないし、社会復帰が遠くなりそうな気がします。