公務員として勤め出し、生まれて初めて作った銀行口座が当時の富士銀行のものでした。
勤め先の幹事銀行ということもあり、職場内に富士銀行の派出所があったので、作りました。
それ以降、ずっとメインバンクは、富士銀行、その後合併によりみずほ銀行なりましたが、変わらず過ごしてきました。
以前は、現在は売却したものの株式も持っていました。
ですが、今年になってからは、トラブルが相次いでいます。
9月22日、金融庁は、システム障害が相次いだ問題をうけ、みずほ銀行とその親会社であるみずほフィナンシャルグループに対し、銀行法に基づく業務改善命令を出した
金融庁の改善命令は、みずほ銀行が今年だけでも7回のシステム障害が発生していることを受けてのものです。
2月、3月に4回の障害が発生したことをうけ、6月に再発防止策を公表したにもかかわらず、その後8月、9月にも3回の障害が発生しています。
すべて異なる原因がもとになっており、もはや個別に問題を解決していては追いつかない状況になっています。
まさかみずほ銀行がこうまでなってしまうとは考えてもいませんでした。
40年以上メインバンクだったのですが、どうしてしまったのでしょうか。
ITジャーナリストの三上洋さんによると、
「みずほ銀行は2002年、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の3行が合併して誕生しました。当初は各銀行のシステムをつないでいましたが、合併直後や、2011年の3.11で大規模なシステム障害を起こしています。」
この時にシステム障害のことも覚えています。
すぐに問題を解決してくれると思っていましたが、新たなる問題がまた生じてしまったようです。
「その反省から、2011年、4000億円をかけて、みずほで一つのシステムとなる『MINORI(みのり)』を作り始めます。それ自体は英断でしたが、あまりにも大変な事業で、いっときは “いつまでも完成しない” という意味から『IT界のサグラダ・ファミリア』とまで呼ばれました。
ようやく完成したのが2019年。しかし、開発は、各銀行でもともとシステム開発に関わっていた3社+1社という4社体制だったのです。当然、各所の調整は困難を極めました」
システム開発が1社ではなく、4社体制だったことがトラブルの元だという指摘です。
「みずほのなかでは、『システムは外注先に任せよう』という空気があると思われます。いくら外注先が頑張っても、自社のなかにシステムを熟知した人間がいなければ、状況は変わりません。今年7月、IBM出身の人物がみずほの取締役に就任したのは、そうした背景もあるのでしょう」
三上さんは、みずほの外注先任せの体質が原因との分析していますが、その通りでしょう。
今回は、金融庁が介入するようですが、どこまで解決できるでしょうか。
ただ正直、監督官庁がどこまで実際のシステム開発の問題点を解決できるか、懐疑的に感じています。
みずほ銀行以上に金融庁にシステムの問題がわかる人材がいるか疑問だからです。
《見える…見えるぞ……国管理になってもまた障害が起こって泥沼化する未来が……》
ネット上では、もっと泥沼化するかのような声が上がっていますが、そしがやにとっては、40年来のメインバンクなので、そうならないように願っています。