ミッションスクールというとみなさんは、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
この本のタイトルのように美人が多いイメージを持っている人もいるでしょう。
そのあたりの事情を探った本です。
第1章は、井上章一が書いていますが、ファッション誌の読者モデルに選ばれる女子大生の所属大学がミッション系の大学に偏っているというところからこの論を進めています。
「JJ」、「CanCam」、「ViVi」、「Ray」の四誌に載った読者モデルの出身校を載せています。
2005年のものなので、ちょっと古いのですが、ベスト10の中の5校がミッション系大学だというものです。
読者モデルというと美人という印象があるので、これだけミッション系が多いということからするとミッションスクールには、美人が多いということが言えるかもしれません。
また第2章では、郭南燕が女子アナウンサーの出身大学について触れています。
著者の調べだと2018年のテレビ局の女子アナウンサーの出身大学のうち10位までの11校のうち、6校がキリスト教系の学校だといいます。
女子アナは、気品、容姿、知識、能力が重んじられるので、美人が多いとも言えましょう。
こう見てくると客観的にもこのタイトルのようにミッションスクールには、美人が多いのが証明されたようですが、ちょっと面白い事実があります。
ミッション系でもプロテスタント系が多くて、カトリック系は、少ないという事実です。
これは、そしがやもこの本を読んで知りました。
井上章一は、プロテスタントがカトリックに比べ、学生の自主性を大事にするところから読者モデルを多数輩出するのではないかと分析しています。
カトリック系の大学では、読者モデルの仕事が良家の子女にふさわしくないという見なす校風があったのではないかといいます。
3章4章で河村信三が分析するように明治以降のキリスト教が布教に当たって、プロテスタントとカトリックでは、違うアプローチをしてきたと述べています。
プロテスタントは、日本の中流、上流階級を主なターゲットにして、布教活動をしてきました。
一方、カトリックは、貧しい人たちへの布教を重視してきました。
ですが、カトリックは、途中からその方針を変えます。
それだけでは、日本での布教活動が充分ではないと分かったようです。
その結果、カトリック系の学校も多数できます。
その中でカトリック系の学校は、プロテスタント系の学校に比べるとお嬢様校というイメージが出てきます。
それは、カトリックの学校で教える修道女が独身であり、「貞操」「貞淑」という要素があり、そのことが上流階級に歓迎されていったというのです。
こう読んでくるとタイトルのややミーハー的なものとは異なって、日本における明治以降のキリスト教の受容の歴史がわかります。
一般的にいうと日本キリスト教徒は、人口の1%程度なので、受容されていないというのが定説ですが、クリスマスやミッション系の学校を含む文化としてのキリスト教は、本家のキリスト教国以上に受け入れてきたと結論付けています。
「信仰」としてのキリスト教が受け入れられなかったとしても、こう見てくると明治以降の宣教師たちの活動は、読者モデルや女子アナを輩出したということで充分に成果を出したと言えるのかもしれません。
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