そしがやのリタイア日記

リタイアした公務員の日々の生活を書いていきます。学生生活、投資、などなどです。

男60歳。昨年、ホームレスになった。

先日、ボランティアのため都庁に行った時のことです。

JR改札を出て、長い地下道を抜けて、都庁前に来た時に、ホームレスを見かけました。

月に1回しか都庁には行かないので、今までは、ほとんど遭遇することはありませんでしたが、久しぶりにホームレスらしき男性を見かけました。

60歳代くらいで、こざっぱりとしていて、紙袋をいっぱい抱えていました。

そんなホームレスになった60歳の男性の記事を読みました。

 

forbesjapan.com

 

カネハラと名乗った。昨年からホームレスになった、と打ち明けた。

背が高く堂々とした体格。鮮やかな色のTシャツに黒のズボン、少しくたびれたリュックを片方の肩に掛けている。髪は短く、髭はきれいに剃られていた。

法律や社会、時事の話題に明るく、知性を感じる。聞くと、日本大学法学部に在籍していたという。

 

カネハラさんという南千住のホームレスの話です。

彼の人生について紹介しています。

 

山形の、蔵王の麓で生まれ育った。両親ともに公務員で、親戚も教員や公務員が多い家系だった。

日本大学法学部に進学したが、「途中でドロップアウトしてしまった」。その後、知人のつてで金融機関の法務部門に入社した。

 

大学を中退してサラリーマンになります。

 

30歳で辞めた。「弱い立場の人を追い詰めるのは僕の理想的な仕事と違う。法律は『攻める』性格の人間じゃないと続かない。『とらばーゆ』しかない、と」

 

時は、バブル絶頂期で、債権回収や保険商品にまつわる法務関連の書類の作成に追われました。

不動産の差し押さえや貸し剥がしもあり、そんな仕事になじめなかったとのこと。

 

24歳の頃、共に生きていこうと誓った女性がいた。しかし女性の家族が水商売をしているからと、家族から強い反対に遭った。親族会議が開かれ、女性との結婚を諦めることになった。

 

それ以降は、家族と没交渉になってしまいました。

金融機関をやめた後は、仕事を転々とします。

期間工として、スバルの群馬の工場や、三洋電機の工場などです。

丸紅倉庫、茨城県庁、アマゾン物流センターなどの建設現場でも働きました。

 

ところが、一昨年の夏、熱中症で倒れ、1週間入院します。

それを機に建設現場の仕事を辞めますが、アパートの契約期限が過ぎていたので、日雇い労働者のためのケアハウスに入ります。

ですが、そこでの人間関係に疲れ、ケアハウスを出て、ホームレスになったとのことです。

 

「悠々自適ですよ」。今、80歳でも90歳でもアパートに入ろうと思えば入れるのだという。寝る場所こそ路上だが、センターもあるし、支援者もいるし、近くの公園や教会で炊き出しはあるし、無料のクリニックもある。収入は少ないものの日雇いの仕事もあり、タバコやお酒、銭湯に行くぐらいの小銭はある、ということらしい。「サバイバル訓練をやってるんですよ」と笑う。

 

カネハラさんは、このように肯定的に現在の生活を見ています。

街で見かけるホームレス一人ひとりには、それぞれの人生があると思いますが、「自ら選んだホームレスという生き方を、それなりに楽しんでいるようにも見えた。」と最後にこの記事の筆者は、まとめています。

そんなカネハラさんに何となくホッとしました。

 

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