そしがやのリタイア日記

リタイアした公務員の日々の生活を書いていきます。学生生活、投資、などなどです。

「光る君へ」と「どうする家康」との決定的な違いとは

 

昨夜の「光る君へ」も面白く見ました。

45分があっという間で最後は直秀が捕まってしまい、道長に盗賊だと知られてしまうシーンで終わりましたが、次回はどうストーリーが展開するのかと期待させるものでした。

今回の大河ドラマは、当初は、あまりなじみのない平安時代ということもあり、見続けることができるか心配でした。

しかし、脚本や俳優たちの名演もあり、脱落することなく、毎回楽しみに視聴しています。

そんな「光る君へ」と昨年の「どうする家康」との違いについて触れた記事を読みました。

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NHK大河ドラマの歴史を振り返れば、権謀術数や戦闘が描かれることが好まれるのは明らかだと思われる。むろん、「光る君へ」で描かれる平安中期も権謀術数は渦巻き、それは主として道長の父である藤原兼家段田安則)の、手段を選ばない出世欲をとおして描かれている。

 とはいえ、ここまでのところ、ドラマの中心に置かれているのはまひろと道長の恋愛感情であり、このため「大河ドラマが恋愛ドラマになってしまっている」という嘆きの声も聞こえる。第7回にして10.9%という低い視聴率の要因は、その辺りにありそうだ。

 

今回の大河ドラマの低視聴率については、まひろと道長の恋愛感情が中心になっていて、これまでの大河ドラマのように権謀術数や戦闘が描かれることが少ないからだと分析しています。

当たっている面もあります。

大河ドラマで戦国時代や幕末が好まれるのは、この二つが中心の時代だからでしょう。

ですが、正直言って、ずっと大河ドラマを見続けてきた視聴者からすると何度も何度も同じ時代だとさすがに飽きてしまいます。

今回の作品で今までほとんど扱われることのなかった平安時代に挑んだNHKのチャレンジ精神は評価したいです。

 

紫式部の少女時代のことはわからない。だから、ドラマで描く場合は創作するしかなく、それを「史実と異なる」と非難するのはナンセンスだ。重要なのは、創作をとおして時代状況や当時の空気が描けているかどうかだろう。その点、「光る君へ」には及第点をあたえられる。

 

多くの視聴者にとっては馴染みのない平安時代、だからこそ脚本家は自由に創作できるのですが、一方で史実と異なるという批判はあります。

しかし大事なのは、「創作をとおして時代状況や当時の空気が描けているかどうかだろう。」とこの記事では述べています。

これに関しては、同感です。

今までのところ、このドラマでは平安時代の雰囲気は描けていると感じています。

 

 翻って、昨年の「どうする家康」はどうだっただろうか。

 最大の問題は、徳川家康松本潤)の正室、築山殿(ドラマでは瀬名、有村架純)の描き方だった。彼女と家康はある時期からまったく同居していないことなどから、不仲であったのはまちがいないとされているが、ドラマでは築山殿の死まで夫婦は仲睦まじかったとして描かれた。

 さらには、史実では敵の武田と通じていたのがほぼ確実な築山殿に、隣国同士で足りないものを補填し合い、武力ではなく慈愛の心で結びつけば戦争は起きない、という話を語らせ、それが家康や家臣に大きな影響をあたえたように描かれた。

 

今年の大河ドラマとの対比で昨年の「どうする家康」を取り上げています。

この記事の分析には納得できます。

昨年の「どうする家康」はこの記事が強調するように家康と築山殿との描き方にかなりの違和感を感じていました。

ですから前半はその違和感を引きずって見続けてきたというのが本音です。

よく脱落しなかったものです。

ですが、築山殿が亡くなって以降の後半は面白くなり、一年を通して完走することができました。

 

昨年、「どうする家康」が「史実を尊重していない」と書いて、「ドラマはフィクションなのに、それを史実との整合性で評価するのはまちがいだ」というお叱りをいただいた。しかし、私がいいたかったのは、エピソードが史実と異なるかどうかではない。時代状況を無視し、同時の常識とは正反対の考え方を描けば、その時代に対する誤解を生む、ということだった。その点で、「光る君へ」はいまのところ、おおむね「史実に即した創作」だと考えるのである。

 

最後に著者は、このように主張していますが、これってまさにそしがやが今感じているところです。

今年の「光る君へ」は今のところ「史実に即した創作」なので、そしがやも充分に楽しめています。

今後にも期待したいですね。