幕末史というのは、興味ある分野ですが、幕府海軍については、あまり知りませんでした。
今回読んだ本は、そんな幕府海軍について、時系列で解説したものです。
幕府海軍が誕生するきっかけになったのは、ペリーの来航でした。
幕府は、海防の必要性を感じ、広く意見を募ります。
注目する意見が2つありました。
一つが勝海舟のものです。
海舟のこのあたりのエピソードは、有名なので、御存じの人も多いでしょう。
もう一つが、伊勢商人の竹川竹斎のものでした。竹川については、初見の人物でした。
二人に共通するのは、海軍の創設の重要性を説くものです。
また現在の感覚からは、ちょっと奇妙で二人に共通するのは、海軍を平時には、海運に用いるという発想です。
つまり海軍と海運の一致です。
まだこの2つが未分化だったのです。
またこの本では、幕府の海軍の創設にあたっては、オランダが優秀な人材を派遣してくれたことを指摘しています。
長崎海軍伝習所が設立されますが、そこにオランダから派遣された人物には、のちに中将や海軍大臣や外務大臣になっているので、オランダが3隻の蒸気船を用意してくれただけでなく、えり抜きの人材を送り、当時の幕府に支援をしたことが分かります。
その後、幕府は、アメリカへ咸臨丸を派遣します。
よく知られたエピソードですが、日本人乗組員は、実際には、あまり役立たなかったようです。
乗り組んでいた、経験豊かなアメリカ軍人たちが実際には、咸臨丸の危機を何度も救います。
勝海舟に至っては、荒天の際には、船酔いのせいかほとんど自分の部屋から出てこなかったようです。
と言って、日本人乗務員を責めることはできません。
それまでは、外洋航海経験がなかったのですから。
ただ復路では、アメリカ人乗組員が5人雇われますが、晴天に恵まれたこともあって、日本人乗り組み員だけの運行で帰国することができたようです。
そんな幕府海軍も内戦期になると第2次幕長戦争や鳥羽伏見の戦に動員されます。
最後には、幕府海軍は、解体されますが、榎本武揚たちが脱走し、北海道で新政府軍に抵抗します。
ですが、最後は、降伏して、幕府海軍は、完全に終焉を迎えます。
その後、幕府解体後の海軍の人材は、どうなったのでしょうか。
この本では、かなりの数の旧幕府の人材が新政府の海軍に移ったと指摘しています。
明治5年の政府の職員録によると海軍省の29,3%が旧幕府出身者でした。
薩摩出身者が14,9%、長州出身者が5,7%ですから、薩長の出身者より多いのです。
これって意外でした。
この本によるとこれらの幕府出身者による人材養成が蓄積されたおかげで、その後の日清戦争において清国海軍に勝利できたと分析しています。
江戸時代と明治時代とは、完全に分断されたものだという見方がされることがありますが、こう見てくると連続していたことが分かります。
幕末期の13年間しか存在しなかった幕府海軍の果たした役割を軽視することはできないということが分かります。