皇族に関心を持ったのは、小泉内閣の時でした。
小泉内閣は、女性天皇を認める皇室典範改正案を作成し、その成立を目指して動き始めていました。
ですが、女性天皇は容認できても女系天皇は、認められないとする意見も出て、事態は紛糾します。
女系天皇の父が天皇の血統でなければ、万世一系の天皇家は絶えるというのです。
そんな中、浮上したのが、旧皇族復活論です。
敗戦後に皇籍離脱した11宮家があり、その末裔には男子も存在するので、彼らを皇族に復帰させて男系の皇統を続けようというものでした。
その時に、旧皇族の存在を知り、関心を持ちました。
しかし、平成18年9月6日に皇太子の実弟である秋篠宮家に男子の継承者である悠仁親王が誕生したことにより、女系を認めた皇室典範改正案は国会へ提出されず、男子の旧皇族の復帰問題も下火となりました。
今回、そんな天皇家以外の皇族について書かれた本を読みました。
この本を読んで驚いたのが、終戦時に皇籍離脱をした11宮家がすべて、伏見宮系だということです。
伏見宮家は、南北朝時代の北朝3代の崇光(すこう)天皇までさかのぼります。
その後、伏見宮は、20代目の邦家親王の時に維新を迎え、その子孫が終戦時の11宮家の各当主となったのです。
維新の時には、4つの宮家が天皇家以外にありましたが、終戦時までには、伏見宮家以外はいずれも断絶して、伏見宮家系しか残らなかったというのです。
この本は、そんな皇族たちのいろいろなエピソードを紹介しています。
中でも一番興味深かったのは、この伏見宮系の皇族である久邇宮家のいくつかの事件です。
一番有名なのが、久邇宮邦彦親王長女の良子女王と当時皇太子であった昭和天皇との結婚をめぐる宮中某大事件でしょう。
元老の山県有朋が良子女王に色覚異常の遺伝子があるとして、内定取りやめを求めたものですが、結局、大正11年1922年9月婚約し、大正13年(1924)1月26日結婚に至ったというものです。
他には、邦彦親王の長男にあたる久邇宮朝融王の婚約解消騒動です。
大正6年、久邇宮邦彦王の子朝融王と酒井忠興伯爵の娘酒井菊子は婚約します。
その後、久邇宮家側が一方的に婚約解消を望みます。
久邇宮家側の婚約破棄の理由は「菊子に節操に関する疑いがある」とのことでしたが、事実無根でした。
今度は、朝融王と邦彦王は性格不一致を理由に婚約破棄を強行します。
ですが天皇の裁可を得たものを覆すことは、前例がなく、大きな問題となりました。
結局、大正13年11月、宮内省は酒井家側から婚約辞退の申し出をさせることで事態を収拾させました。
当時摂政であった昭和天皇は、邦彦王に訓戒の言葉を与えました。
最初に述べた旧皇族の復帰問題は、この頃は、すっかり議論にも上らなくなりました。ですが、皇位継承ができる若い男性皇族が悠仁親王一人という現状からすると、これからの皇位継承には不安も残るのも確かです。
そんな時に、この本は、皇族について考える際の参考になりますね。