司馬遼太郎と言えば、「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」など、売上げ累計が1億冊を超える大ベストセラー作家です。
個人的には、中学生の時に「竜馬が行く」を読んでからずっと司馬遼太郎の作品を読み続けています。
戦後の日本人の歴史観にも影響を与えたので、いろいろな分析がされていますが、今回読んだのは、メディア論的な視点からの著作です。
この本には、論点が6つあります。
①「余談」と没落後の教養主義
②サラリーマンの教養
③メディアの機能と相互作用
④「傍系」「二流」の軌跡
⑤戦中派の情念
⑥「司馬史観」をめぐって
以上の中でも④がこの本を読んで、一番興味深く感じました。
多分今までの司馬遼太郎への評論では、こういう見方というのは皆無でした。
旧制中学から旧制高校への受験に失敗して、傍流の大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)へ進み、戦後も産経新聞という二流の新聞社に就職しました。
一流でもなく三流でもない二流という人生を歩んできたと指摘しています。
このことが司馬の作品に影響を与えているといるのではないかと分析しています。
また彼の小説もかならずしも文学の本流ではなかったとしています。
司馬の歴史小説は、当初は、小説家からも歴史家からも積極的に評価されてきませんでした。
司馬の作品が人気を得たのは、高度成長期のビジネスマンやサラリーマンが愛読したからだといいます。
個人的には、司馬は、一流の作家だと思ってきたので、かなり意外な見方でした。
確かに明治をややもすれば美化する一方で、昭和を暗く描くのは、彼の経験した理不尽な軍隊生活だけではなく、彼の一流と言えない人生も影響しているというのは、面白い分析です。
今までは、軍隊生活の影響というものを重視することは、あってもそれ以外の学校生活や職業の影響を取り上げた評論はなかったと思います。
ただそしがやとしては、この著者は、司馬の二流、傍流という視点を過大に重視していると感じました。
昭和の暗さとは、対比的に明治を明かるく描いたのは、やはり戦車兵として感じた、戦前の陸軍の精神至上主義の軍隊生活の影響が大きいと思いますね。
またこの本では、①や②で教養主義について取り上げていますが、この視点も面白いですね。
古典的な教養としての哲学や思想書が難解なので、すたれた反面、歴史というハードルの低い教養がサラリーマンたちに親しまれたというものです。
司馬の長編小説の特徴である、途中に盛り込まれる「余談」という歴史エッセイが読者に教養を感じさせたというのです。
このあたりの分析は、そしがやも同感です。
ストーリーの本筋とは関係ない「余談」を楽しみにして読んでいました。
⑥の「司馬史観」については、しばしば語られることですが、「司馬史観」論争についても時系列に解説しています。
論争の結果、司馬が一流に格上げされたとの分析をしていますが、二流、傍流にこだわる著者ならではの見方です。
それにしても司馬遼太郎の著作は、これからも読み続けられることだけは間違いなさそうです。