日本では、貧富の格差が広がっていると言われています。
以前は、自分が中流だと思う人がほとんどだったのに現在では、そういう意識の人は減っているというのです。
ただ個人的には、1億総中流と言われていたころもみな平等だったかというとそうでもなく、貧富の格差はあって、現在とそう変わらなかったのでないかというのが、実感です。
貧しい人は、今以上に貧しかったような気がします。
これって、18歳まで田舎に育ったせいでそう感じるのかもしれませんが、当時は、都市と田舎の格差は、今以上にありました。
人は、過去を美化しがちですが、過去の高度成長期も今思い出すといいことばかりではありませんでした。
公害はひどく、空気は汚くて、川には、ゴミが流れていて、街にはタバコを吸いながら歩く人が多く、道路は吸い殻だらけで汚かったです。
現在の方がいいことも多いです。
街や川はきれいになったし、空気はおいしいです。
貧富の格差についていえば、ある程度はやむを得ないのではないかと思っています。
世の中には、いろいろな人がいて、努力して真面目に働く人もいるし、そうでない人もいます。
長年の職場経験でそう感じています。
優秀で一生懸命な人は、出世していきました。
それって当然でしょう。
仕事をする人もしない人も同じような評価であったら、みな仕事をしなくなります。
無論努力しても結果が出ない人がいることも確かです。
あるいは、親が貧しくて、教育を充分に受けられない場合とかもあるでしょう。
政府の支援が充分でない場合です。
多くの場合努力すれば、それなりの見返りがあるのが、現代の日本社会だと思います。
その結果としては、貧富の格差が広がっていくということになります。
そしがやの場合は、公務員だったので、職員間でそれほど格差はなかったのですが、社会的に成功した人の話を聞いたり、記事で読んだりするとかなりの努力をしています。
無論才能等に恵まれたということもあるでしょうが、みな努力の結果だと思います。
こういう努力が報われる社会こそが健全な社会でしょう。
一方で努力しない人は、社会が悪い、職場が悪い、上司が悪い、○○が悪いと自分以外に責任を転嫁しがちです。
これって、長年勤めていた公務員社会でもその手の人はいました。
自分以外の誰かの責任にしているのです。
ただそういう人に限って言えば、彼ら自身は、ほとんど仕事をしません。
一番、悪いのは、努力する人もしない人も同様に扱う悪平等の社会です。
その結果として社会は全体として貧しくなります。
これは、過去のそういった国々の末路を見れば明らかでしょう。