そしがやのリタイア日記

リタイアした公務員の日々の生活を書いていきます。学生生活、投資、などなどです。

「奨学金550万円」女性が迷いなく満額借りた理由



奨学金というと多額の奨学金を返すのに苦労したという記事ばかりネット上では、よく見かけます。

そういうこともあってか、奨学金のイメージはあまりよくありません。

ですが、一方では、今回の記事のように奨学金によって自己実現できた例もあります。

 

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「もともと芸能人になることが夢で、10代は事務所に所属して芸能活動をしていました。でもなかなか芽が出なくて、前々からリミットと考えていた20歳で芸能の道は諦めて」

とくに勉強が好きだったわけではなく、また芸能活動もあったため、大学を選んだ理由も「とりあえず受かりそうな大学に」というもの。

だが、最愛の祖父が難病になったことで、彼女の運命は大きく変わることになる。

 

芸能人を目指していた山田愛美(仮名・35歳)は、自分を可愛がってくれた祖父が難病になったことで大学教員を目指します。

祖父は、脊髄小脳変性症という難病でしたが、それを治したいという一心でした。

いろいろと模索している間に、『再生医工学』という医療分野があることを知ります。

その研究を進めるためには、東大の大学院に入ることを決意します。

 

そのために生活費を稼ぐバイトと共に勉学に努め、大学4年生の夏には、東京大学の大学院に合格します。

 

「第一種(無利子)を月額8万8000円、第二種(有利子)を12万円借りました。どちらも修士課程における満額です。また、入学時特別増額貸与奨学金の50万円も借りて、合計で約550万円です。奨学金金利が安いので、借りられるのであれば満額で全部借りてしまおうと思っていたんですね。

 

大学院入学に備え、満額に当たる約550万円を借ります。

大学院に入学してからは、研究に専念します。

その甲斐があって修士課程の時に、博士課程学生向けの日本学術振興会(通称、学振)のDC1に採用されます。

これに採用されるかどうかで将来の研究者人生が決まってしまうものです。

その狭き門を無事通過したわけです。

 

その後、大学院を無事に修了。

首席になったことで第一種は返済免除となり、第二種も修了と同時に学部時代のバイトで貯めたお金や交通事故の補償金で一括返済したといいます。

 

こう見てくると本人の努力もありますが、奨学金の存在が彼女の大学院生活を支えたと言えそうです。

現在は、大学で教鞭をとっています。

 

「それでも、私としては『やりたいことだから』と腹を括って大学に進んだのであれば、どんなに奨学金を借りたとしても、最終的には納得して返せると思うんです。

今、学生たちのサポートをしていて思うのは、彼らの『好きなことへの情熱』です。本当に好きなこと、やりたいことだったなら、どんなに逆境があろうが、周りに低く見られようが、やり通せると私は思います」

 

最後には、彼女は、このように語っています。

やはり大学でやりたいことがあるかどうかということが大事だということでしょう。

そのためには、奨学金を借りることもアリだと感じました。