ブログの記事は、アップした数日でほとんどがアクセスが極端に少なくなります。
そんな記事の中で10月にアップしたのに、いまだにかなりのアクセスのあるものがあります。
以下の記事です。
ヨーロッパ系の外国人とつきあっている日本人女性には、日本人から見て、美人がいないという内容でした。
ヨーロッパ人と日本人の美人感が違うのではないかというものです。
普段は、まずない、はてなブックマークも7つももらいました。
いつもは多いブログ村からではなく、グーグルやヤフーの検索サイトからのアクセスが多くなりました。
一時的なものかと思っていたら、いまだにこの記事は読まれています。
今日現在もアクセス元の16%を占めているグーグルの中の30%、11%のヤフーでは29%をこの記事が占めていて、検索サイトから来るほかの記事を圧倒しています。
多分、みなさんも普段から思っていて、共感する内容がこの記事には、あったのではないかと想像しています。
そしがやは、こんな数か月も経ってもアクセスの続く記事をこれからも書きたいと思っています。
先日、女優の原節子が亡くなったときに、日本人離れした美人とか、容姿とかのフレーズが新聞や雑誌のその記事にありました。
昨日、行った書店の原節子特集の雑誌にも同じ表現が使われていましたね。
久しぶりに見た表現だな、と感じました。
最近はあまり目にしなかったものです。
以前は、このフレーズは、女性へのほめ言葉でした。
30年から40年前でしょうか。
当時は、あまり違和感なく使っていたように思いますが、当時は、ヨーロッパ系の顔だちに似た女性にこのフレーズをよく使ったものです。
今から思うに当時は、アメリカとの戦争に負けたこともあって、まだ日本人も自信がなかったのでしょう。
欧米的なものが優れているという考え方があったと思います。
それが美人感にも現れていたのではないでしょうか。
その後、あまりこの表現が使われなくなったのは、日本の経済力が高まり、欧米に対しての劣等感が少しずつ克服されきたせいでしょう。
いまこの表現を使うとなんだか、違和感を感じます。
日本人であることを卑下しているようです。
さて、このふたつのことから感じるのは、美人感というのは、相対的だということでしょうか。
日本人と外国人とでも違うし、日本人でも以前とは異なっているということです。
原節子と同じ容姿を持った女性が今登場したら、彼女と同じように女優として成功したかどうか疑問でしょう。
アメリカ占領下のころの日本だったから評価されたのかもしれません。
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