先日、原節子が亡くなっていたことが明らかになりました。
今年の9月に95歳で生涯を閉じたようです。
原節子というと無論リアルタイムでは、知らないので、忘れたころにテレビで放映される映画とかで見た印象しかありません。
放映されるのは、小津安二郎監督のものがほとんどで、今思い出すのは、「晩春」です。
婚期を逃した娘のことを案じた父が再婚するとうそをついて、娘に結婚をさせるというものでした。
同時代の黒澤明の映画と比べるとあまり動きがなく、正直に言えば、ちょっと退屈な映画でした。
占領下の昭和24年に製作された作品ですが、あまり戦後の混乱している日本の雰囲気がしなくて、ちょっと浮世離れした感じのあるものでした。
さて、そんな原節子ですが、亡くなったことが公にされてから、いろいろ雑誌等に記事が載っています。
内容を読むと、小津監督との関係はどうだったのかとか、なぜ42歳という人気の絶頂期に引退したのか、という記事が多いようです。
引退した理由は、謎のようですが、そしがやは、単純にリタイアしたかったと考えています。
もともと好きで女優になったわけでないようです。
実家の経済的苦境を救うためになった側面があるそうです。
そんなせいもあって、女優としての評価は、当初はあまり高くなく、ルックスが先行し
たなどと言われました。
本当のところは、本人しかわかりませんが、初めはそんな好きではなかった女優という仕事を続けてきたが、最初からいつかは辞めたいと考えていたのではないか。
そんな風に感じます。
今の言葉で言えば、アーリーリタイアをしたかったということです。
そしがやが興味を持っているのは、原節子がどんなリタイア生活を送っていたかです。お金の面は、どうやりくりしていたかも関心があります。
鎌倉に隠者のように暮らしていたようです。
引退当初は、顔を知られていたので、そんなに外出はできなかったかもしれません。
ですが、時間が経てば、忘れられ、普通に生活できたのではないか、と想像します。
引退後の生活に関して、週刊誌には、日経新聞と毎日新聞を隅から隅まで読んでいたなんて、記事がありました。
日経新聞をしっかり読んでいたのが、面白いですね。
資産運用をしていたんでしょうか。
94年には、都内の自宅の土地を売却して、約12億円の収入を得たという記事もありましたから、その運用も図っていたのかもしれません。
そんな視点の記事が、「日経マネー」あたりに載るのを楽しみにしています。
ご冥福をお祈りいたします。