子供のころの夏休みというと海の近くの田舎に住んでいたということもあり、小学生のころは、よく歩いて海に行き、泳いでいました。
波が荒くて、あまり海水浴には適さない海でしたが、海水浴場もあり、夏には毎日のように通っていました。
別の言い方をすれば、他にすることがなかったのです。
反面、親が自営業だったということでどこかへ泊りがけで家族で旅行に行ったという思い出はありません。
当時は、それが当たり前だと思っていたのですが、のちのち大きくなって、隣町の高校に進学して、比較的裕福な家庭の友人に聞いてみると夏休みには、親に旅行に連れて行ってもらったという話を聞いて、ちょっと驚いたものです。
今回読んだ記事は、そんな夏休みの体験に対するものです。
「あーあ、どうせ、みんな、2学期が始まったらユニバに行った、ディズニーに行った、海外旅行したって自慢するに決まっている」
夏休みが始まって早々、都内の小学校に通う4年生の息子が何気なく口にした不満に、母親の会田美知子さん(仮名、40代)は焦りを感じた。クラスメイトの多くが遠出し、大阪のユニバーサルスタジオジャパンや東京ディズニーランドなどに出かける。
今回の記事は、子どもたちの体験格差についてのものです。
この記事によると所得によって体験格差が生じていると指摘しています。
それは特に夏休みにその格差が拡大するといいます。
低所得家庭の子供にとっては、夏休みが長くて、苦しいというのです。
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンが2022年10月に日本で初めて実施した「子どもの体験格差に特化した全国調査」の内容が記されている。2000人以上の保護者がアンケート調査に回答すると、年収300万円未満のいわゆる「低所得家庭」では、子どもたちの約3人に1人が過去1年間で「体験ゼロ」だった。
体験ゼロとは、スポーツ系や文化系の習い事の参加もなければ、家族旅行や地域のお祭りなどへの参加も含めて「何もない」ということ。放課後の体験も休日の体験も、すべてゼロという子どもが全体の15%を占めた。「体験ゼロ」の割合は、年収300万円未満と年収600万円以上とでは2.6倍の差が生じた。
この調査の体験ゼロというのは、小学生時代のそしがやと同じですが、当時は、同じ地域に住んでいる友人はみな同様でした。
そんな訳で格差を感じることもありませんでしたが、今は、いろいろと体験を経験できる機会が増えているので、なおさら「体験ゼロ」を感じやすくなったのかもしれません。
この記事の中で取り上げられている『体験格差』(講談社現代新書)という本では、幼い時期から継続的に生じる「体験格差」の実態を明らかにしています。
「体験ゼロの状態が将来の選択を狭める可能性がある」とその問題点を指摘しています。
自分の子ども時代がほぼ「体験ゼロ」だったそしがやとしては、それほど大げさなことかなとも感じましたが、50年以上昔に子ども時代を送ったそしがやとは、今は時代が違うのかもしれません。
体験格差 (講談社現代新書 2741)
大人が用意した環境でする「体験」を消費することが中長期的に子どもにとって「必需品」であるのか。改めて考える必要がありそうだ。
最後にはこの記事のライターもこのような体験をお金で買うような風潮を疑問を呈しています。
同感です。
夏の地方自治体の広報誌等には、無料で体験できる子供向けの行事がいろいろと載っています。
お金がなくてもそういった行事に参加することはできます。
ほかにも企業によっては無料で工場見学等に参加できるものもあります。
交通費はかかりますが、夏休みに子供に学校とは違う体験させることはできると思いましたね。