あるブログを読んでいたら、こんな記事がありました。
全財産を失いました。もうダメだ。: 子育て真っ只中でも週休5日のセミリタイア生活
ある方のブログを拝見したところ、次のような内容の記事が書かれていました。
その方はすでに早期リタイアされているようなのですが、残念ながらここ最近の株価暴落でかなりの損失を出してしまったようで、そのことをブログの記事に書いたそうです。
そうしたところ自分の不幸を喜ぶようなコメントが読んだ人から集まったそうです。
確かに最近ブログランキングの注目記事には、大きな損失を出したことを書いている記事があふれているように思います。
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、まったく自分とはかかわりのない他人の不幸を喜ぶ残念な人たちがいて、そういう人たちが他人の不幸を求めてそのような記事に集まっているようですね。
最近のいろいろなニュースを読んでいると、人の不幸って、蜜の味ではないですが、ある意味では最大の娯楽という感じがします。
例えば、芸能界を見ると、ベッキーの不倫騒動がなぜあそこまで叩かれなくてはいけないのかと思いますね。
不倫をしたのだから、当然という声が聞こえてきそうですが、仕事を全部失うほどのことかな、という気もします。
犯罪を犯したわけではないので、覚せい剤の清原とは違います。
上記の記事には、こんな解説がありました。
この本によると人間の脳には無意識に他人の不幸を喜んでしまう回路が存在するらしいです。
しかし、他人の不幸をいつも喜ぶかというとそういうわけでもないようです。
大きな災害などで不幸にみまわれた人を心配したり、同情したりすることもありますもんね。
では、どういうときに他人の不幸を喜ぶのかというと、その不幸にみまわれた人に対して妬みの感情を持っているときなのだそうです。
妬みの感情を持っているときに他人の不幸を喜ぶんですね。
ベッキーの例で言えば、彼女は、芸能界で大活躍していたからこそ、あそこまで叩かれたんでしょうか。
普通の人が不倫をしてもなんとも思われない理由がわかりますね。
日々の生活が辛くて、他人からちっとも認められない人間にとって、自分とは間逆にいる人気者が転落する姿って、気持ちいいんでしょうね。
ちなみにこの記事で取り上げられている本は、以下の本です。
ですが、こんなちょっとゆがんだ気持ちしか持てないのって、ちょっと悲しすぎます。人間の性(さが)かもしれませんが、もっと建設的に生きていきたいものです。