最近は、呉座勇一の新作が出るとだいたいすぐに読むようにしています。
著作の中に何か深い洞察力を感じるからです。
今回は、「武士とは何か」を読みました。
この本では、33人の人物が取り上げられていて、それぞれの有名なエピソードで「武士とは何か」というこの本のテーマに迫ろうとしています。
必ずしも武士とは言えない人物もいます。
とはいえ、現代人がイメージする武士像とは、まったく異なる中世の武士の荒々しさは、伝わってきます。
ただちょっと残念なのは、一人ひとりに与えられた尺が長くても7ページほどなので、人物分析が浅いと感じました。
これまでの呉座の著作で感じた深い洞察力は、ちょっと薄いというのが、率直な感想です。
33人の中には、誰もが知っている人物もいますが、比較的知られていない人物もいます。
最初に取り上げられている源義家は、鎌倉幕府を作った源頼朝の曽祖父ですが、名前だけは、聞いたことがあったものの、どういうことをした人かは知りませんでした。
この中では、義家の暴力性や残虐性のエピソードが紹介されています。
後三年の役での奥州の金沢柵の攻防では、兵糧攻めにし、逃げ出すものを老若男女関係なく、殺害しました。
金沢柵が陥落した時には、火を放ち略奪、虐殺の限りを尽くしました。
捕らえられた敵将の清原武衡が助命を懇願した時には、弟の源義光が「降伏したものの命を助けるのは、昔からの武士の作法です」と口添えしたにも関わらず、義家は、「降伏とは、戦場を逃れた者が後で罪を悔いて出頭してくることをいうのだ。武衡は、戦場で捕らえられて、情けなくも命乞いをしている」と述べて武衡を斬首しました。
ほかにも彼の残虐性を示す逸話が載っています。
後世の武士道と言われるものとは、違った中世の武士たちのものです。
呉座によれば、近世に生まれた武士道というのは、戦乱のない時代だからこそ生まれたものだといいます。
実際に戦乱の時代であった頃の武士たちは、もっと荒々しかったというのです。
そのあたりについては、終章の「中世武士から近世武士へ」で詳しく述べられています。
つまり中世武士と近世武士とを比較していて、両者は、同じ武士という名前があるもののまったく別物だと指摘しています。
実をいうとこの本の中では、この終章が一番面白くて、呉座らしさがありました。
33人もの人物を取り上げたので、一人ひとりの人物の描き方が薄くなってしまったので、著者の本領が発揮できなかったようです。
人物を10人くらいに絞って、描いた方がもっと魅力的な本になった気がします。
そのあたりが残念な点でした。