日本の大学入試は、一発試験で決まる場合がほとんどです。
現在通っている大学も同様です。
推薦やAO入試とかもありますが、まだ少数派でしょう。
この一発入試に対しては、これまでは、批判的な論調で捉えられてきました。
入試があるために高校生活が受験勉強で灰色になってしまい、スポーツや文化活動などの自由な生活が楽しめない。
あるいは、高校生の本来の能力を測ることができないといったものです。
ですが、そんな論調に対して、日本の一発入試を評価する記事を読みました。
先日、テレビ朝日の特別番組「選挙ステーション2021」内での討論を巡って「学歴社会から経験重視の社会へ」と唱えた起業家の方がネット上で炎上していました。彼女は「偏差値の高い良い大学に入学できた人だけが高収入が保証された良い企業に入社できる」と日本の学歴重視社会を批判し、その解決策として、個々人の経験を重視する社会に変えるべきだと訴えていました。
こういう現在の学歴重視社会への批判というは、昔からあるものです。
多分、多くの人がこの手の批判には、説得力があると思うのではないでしょうか。
この討論のテーマは「格差をなくすためにはどうすべきか」というもの。同番組に出演されていたイェール大学助教授の成田悠輔氏が「むしろそれは一番格差が広がる」と突っ込んでいたのが印象的でした。
東大生である筆者は、アメリカの大学で教えている成田氏の突っ込みの方にこそ共感しています。
しかし、いまのアメリカのような「経験重視」よりはよっぽど社会にとってマシな結果を得ることができるだろうと考えます。それは、学力や偏差値はある程度個人の力でカバーすることができますが、入学試験にプラスになるような経験はほぼ完全に親の財力に依存してしまうからです。
筆者のこの意見には、同感できます。
そしがや自身の大学入試経験からいうと学力は、個人の努力でかなりカバーできますが、社会経験は、親の経済力に依存してしまうからです。
筆者は、大学時代の経験を重視する推薦入試で東大へ入学した友人の例を上げています。
生物系の学部へ進学した友人は、幼いころから生き物への興味を持っており、様々な動植物を時には輸入しながら飼育しているのだと言っていました。
また別の友人は、海外の貧困地域や紛争地域に深く関心を持っており、様々な文献やレポートを漁ってみたり、時には実際に現地に査察に行ったりしました。
そうして得られたデータで論文とプレゼン資料を完成させて臨んだ面接で、なんとか合格できました。
この二つの例は、見事だとも思えますが、この二人の学生がそういった経験を積むことができたのは、それなりの家庭の経済力があったおかげだと思います。
東京に生まれても渋谷や新宿にすらロクに訪れたこともないような、年収300万円台の家庭に育った筆者のような高校生がこのような経験を積むことは正直難しかったでしょう。
僕自身、受験生のときはそうでしたが、学生たちはやはり決死の思いで受験戦争に挑んでいくものです。努力は時に裏切られることもありますが、それでもなるべく出自や生まれ持った環境には関係なく、あくまで公平に、積んだ努力の分だけ結果が返ってくるような仕組みが理想と言えるのではないでしょうか。
筆者は、最後にこのように述べています。
そしがやの個人的な感想としては、社会経験を重視した入試の良さもあると思いますが、筆者の強調するように公平性の面で難があります。
やはり入試の基本は、一発入試だと思いますね。