長いこと疑問に思っていることがあります。
社会主義や共産主義は、もうすでにソ連の崩壊で失敗しているし、現在社会主義や共産主義と言われている国では、人々の人権は守られていないし、貧しくて、民主的ではなく、独裁になっています。
にもかかわらず、日本で社会主義や共産主義を主張する政党が存在し、一定の支持を集めているということです。
そんな疑問に関する記事を読みました。
「脱成長」や「反資本主義」を唱える本が最近ベストセラーになっている。哲学者・経済学者の柿埜真吾さんは「脱成長や社会主義の訴えが一部の人に魅力的に響くのは、私たちの文化が長い間親しんできた考え方とうまく調和するためである」という――。
この著者が主張するのは、「脱成長や社会主義の訴えが一部の人に魅力的に響くのは、私たちの文化が長い間親しんできた考え方とうまく調和するためである」だということです。
この記事は、かなり長いものなので、要点だけ触れたいと思います。
地球温暖化問題によって、環境を破壊し、ますます被害を拡大させているという主張があります。
資本主義による経済成長がその原因だというものです。
これって、結構、説得力がありますね。
20世紀以降の世界全体の気象関連災害による死亡者数は、2010年代が最も少なくなっている。死亡率は1920年代から、なんと約99%も減少している。古い時代には報告されていない小規模な災害も少なくないと考えられるので、この数字は実際の低下率をかなり過小評価している。これは経済成長に伴い、人々がより頑丈で安全な家に住むようになり、防災インフラも向上した結果である。
実際は、気象関連災害による死亡率は圧倒的に減っています。
これは、ベストセラーになった「ファクトフルネス」でも述べられています。
災害大国である日本は昔から深刻な水害に何度も見舞われてきた国だが、水害の被害額の対GDP比率や死者数は経済成長に伴って高度成長期以降、大幅に低下している。経済成長とは、まさに人類の素晴らしいサクセスストーリーである。貧困をなくし、世界を豊かにしてきたのは経済成長であり、経済成長を可能にした資本主義である。経済成長を罵倒したところで温暖化問題は解決しないし、脱成長にすれば自然と調和して人類は幸福に暮らせるというのは全くのおとぎ話というしかない。
日本の場合でいえば、経済成長が災害の被害を減らしてきたのも間違いない事実です。
この記事では、このように資本主義に基づく経済成長によって人類は、災害による被害を減らし、発展してきたにも関わらず、一部の人が社会主義や共産主義にあこがれる理由を以下のように述べています。
脱成長や社会主義の訴えが一見すると魅力的に響くのは、私たちの文化が長い間親しんできた考え方とうまく調和するためである。資本主義の下での経済成長が始まったのは人類の歴史全体から見ればごく最近に過ぎない。
その理由を資本主義以前の人類の長年の考え方に調和するからだとしています。
これは、ちょっと意外な視点です。
人類はその歴史の大半を通じてゼロ成長の閉鎖的な部族社会や封建社会で暮らしてきたし、いつも貪欲や競争を非難し、禁欲的生活を称賛する思想家や宗教家の教えに従ってきた。脱成長と社会主義の思想は、人類が太古から信じてきた教えに極めてよく似ているのである。
日本の例では、資本主義が明治維新から始まったとすれば、それ以前の江戸時代に魅力を感じるようなものということでしょうか。
ですが、江戸時代は、階級社会で自然災害の多い社会だったということも確かです。
歴史書を紐とけば、分かります。
冷静に考えれば、ほとんどの人にとっては、もう戻りたくない時代でしょう。
社会主義や共産主義に現代人が引かれるのは、資本主義以前の封建時代の価値観を人類が引きずっているかだというのがこの記事の主張です。
統計で見れば、時代が進むにつれて世界全体はよくなってきたのは、間違いないのですが、こういった反成長、反資本主義的な考え方が残るのは、人類の遺伝子に深く刻まれているということでしょうか。
この意見は、面白く読みました。
当たっている面もあると感じました。
無論、反論もあるでしょうが、社会主義や共産主義が太古からの教えに似ているのであれば、消えてしまうことは、なさそうです。