18歳で大学へ入学するために来てから、ずっと東京で過ごしています。
田舎へは、年に何回かは、帰省していますが、今は、両親とも他界したので、墓参りに帰るだけになっています。
このまま東京で人生を終えるつもりで生活しています。
60歳でリタイアした時には、同僚の中には、田舎へ帰るという人もいました。
地方出身者が多い職場でしたが、その割合は、少なかったです。
やはり同僚の多くも東京でリタイア生活を過ごす人がほとんどでした。
なぜ東京で暮らしているのかというと一言でいえば、そしがやにとって、東京が居心地いいということでしょうか。
そんな地方出身者の思いに触れた記事を読みました。
この記事は、小説家の山内マリコさんのよるものです。
25歳で上京して、かれこれ15年、東京で暮らしていて、去年、40歳になった女性です。
そしがやよりは、ずっと若いですが、地方出身者の東京に対する気持ちを代弁するような内容になっています。
富山で生まれ育ち、大学時代を過ごした関西から東京の中央線沿線に転居したのは、表参道ヒルズが竣工した2006年のこと。東京旅行で見た同潤会アパートの風情がたまらなく好きだったので、来てそうそうにこの街のスクラップ・アンド・ビルドの非情さを思い知らされた。噂には聞いていたが、同潤会アパートみたいな“素敵の塊”を壊すなんて、ちょっとすごいなと呆れた。
山内さんは、富山からいきなり東京へ来たのではなく、一度関西で大学生活を送っています。
地元の富山以外に関西も経験しているので、より東京を客観的に見ることができるのかもしれません。
そしがやは、実家のある田舎と東京しか住んだことがないので、ちょっとうらやましく感じます。
また同潤会アパートに触れていますが、そしがやもあの風情は、いいなあ、と思ったものです。
ですから山内さんと同じように壊されてしまったのは、残念に感じました。
ああ、ここにいていいんだと、街から許容されている感じ。街自体が巨大すぎるゆえ、「あんたのことまで見てられないから、好きにして」と放っておかれている感じが東京にはある。
そんな山内ですが、東京で住んでみた感慨をこのように述べています。
「あんたのことまで見てられないから、好きにして」というフレーズは、多くの地方出身者の感じた思いでしょう。
そしがやもそういう気持ちは、すごくわかります。
東京に暮らす居心地の良さを体現しています。
しかしこの、一種の旅人的な感覚は、上京者だけのものかもしれない。わたしの知る東京生まれ東京育ちの人の多くは、実家ないし縁のある地域に住み、馴染みの沿線から決して離れようとしない。彼らは案外、近所の目を気にしていたりするし、実家が盤石であればなおさらその傾向は強い。
それに地方出身者は、たくさんの人にまぎれられる匿名性だけでなく、もう一層深い自由があると山内さんは、分析しています。
それは、東京に実家もないし、地縁もないからです。
確かの東京に来た時の周りに誰も知っている人のいない解放感は、格別なものだったことを思い出します。
この記事を読むと多くの地方出身者を魅了し続けてきた東京の魅力は、いまだに失われていませんね。
たぶんこれからも若者だけでなく、リタイアした人をも魅惑していくような気がします。
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