15年ほど前、小説教室に通っていましたが、そこには、いろいろと面白い人が参加していました。
元タケシ軍団のメンバー、元AV女優、ゲイバーで働いている男性などです。
公務員だけの狭い世界では知り合えない人たちばかりだったので、貴重な体験でした。
そんな中に占い師の人がいて、授業のあとの飲み会で傭兵の話題になり、「私には、元傭兵の友達がいるから、会いに来ない」ということになって、会いに出かけたことがあります。
会う前は、ちょっと怖い人かなと思っていたのですが、会ってみる人当りのいい40歳代前半の男性で会話も弾みました。
傭兵をしていたころの死にかけた話は、リアルでずっと聞き役でした。
何冊か本も出版していたので、会う前には、読んで出かけました。
2~3時間ほど飲み食いしながらの会でしたが、この平和な日本にも傭兵という小説でしか知らない人がいるんだと驚いたものです。
その後その男性のことは、すっかり忘れていたのですが、最近ネットで彼に関する記事を読みました。
本を出したので、そのプロモーションも兼ねた記事のようです。
高部正樹さん(56歳)の最も知られている肩書は「元傭兵」だ。
アフガニスタン、ミャンマー、ボスニア・ヘルツェゴビナと、海を渡り戦地に赴き、傭兵として20年近く活動してきた。傭兵とは金銭などの利益により雇われ、戦闘・闘争に参加する兵士や集団のこと。これは日本人としては非常に珍しい経歴だ。
引退後は、軍事アナリスト、軍事ジャーナリストとして活躍している。
写真を見ると15年前とほとんど変わりませんね。
彼と会った時を思い出します。
この記事では、彼の経歴が紹介されていますから、これを読むと傭兵になった経過が、説明されています。
パイロットにあこがれて、自衛隊に入ったものの、腰を悪くして、パイロットの夢が消えてしまします。
自衛隊を辞めてから彼は、傭兵になろうと決め、いろいろと手を尽くし、アフガニスタンで最初の傭兵としてのキャリアーをスタートさせます。
この辺の話は、15年前にも聞いた記憶がかすかにあります。
その後、各地での傭兵としての生活が始まりますが、傭兵は、経済的には、まったくペイしません。
行き来の航空機代も出ません。
紛争地域は、経済的には、遅れた地域が多いので、当然と言えば、当然かもしれませんが、そんな中で、傭兵をする彼には、ちょっと驚かされます。
そんな高部さんですが、日本に戻ってきてからは、軍事アナリストとしての仕事をすることがあるといいます。
「仕事をいただけるのはありがたいのですが、ただちょっとズレているなと思うこともありました。日本での軍事アナリストの仕事って、“カタログデータ”を出して検討することなんですね。例えば、この銃は(資料によると)何メートル弾が飛びますよ、とか。ただ現場で働いていると、データと実際には大きな隔たりがあるって現実がわかる。でも僕は彼らのように上手く解析、解説はできない。
大学教授と、叩き上げで現場で働く職人の違いのようなものを感じました。
ただ、マスコミで必要とされているのは、大学教授の意見なんですよね。だから名刺の肩書には、軍事アナリスト、軍事ジャーナリストとは書いていません」
このあたりの意見は、実戦を経験した傭兵でしかわからないものですね。
彼がもう少し、理論的に説明できるようになるとメディア等での活躍の場も広がるんでしょう。
ほかには、元の勤め先の自衛隊で講演をしたりとかドラマや映画での戦闘シーンの監修をしたりしているようです。
こんな風に、以前、会ってすっかり忘れていた人の消息をネットで見かけると懐かしくなります。
ネット社会のよさでしょうか。
とはいえ、高部さんは、もうそしがやのことは、覚えていないでしょうね。
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