「明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像」という本を読みました。タイトルは、「明智光秀と細川ガラシャ」となっていますが、第1章以外は、細川ガラシャについて触れたものです。
4人による共著ですが、中でも一番面白かったのは、井上章一による第3章「美貌という幻想」です。
これは、細川ガラシャ美人説の謎について検証したものです。
細川ガラシャというと戦国一の美女というのが、世間では、一般的な認識でしょう。
テレビドラマや映画では、ガラシャ役は美人女優が演じるのが普通です。
ですが、井上は、そういう認識に疑問を投げかけています。
井上によると当時の史料には、ガラシャを美人としたものは、ないようです。
日本側の資料にも海外の宣教師側のものにもないとのこと。
例えば、ポルトガルの宣教師のルイス・フロイスの「日本史」の中に同じ宣教師のオルガンティーノの手紙が引用されていて、ガラシャについて触れています。
それによるとガラシャは、卓越した知性の持ち主とは、描かれていますが、その美貌については、一切言及していないとのことです。
これって、どういうことでしょうか。
実際にガラシャに会った人は、彼女が美貌の持ち主だったとは見ていなかったということです。
実際にガラシャが美貌の持ち主として、文書に現れるのは、イエズス会の宣教師であるジャン・グラッセによる17世紀の発行された「日本西教史」からだといいます。
グラッセは、ガラシャが亡くなってから18年後に生まれた人物なので、当然、ガラシャに会っていません。
見てもいないのに、ガラシャのことを美人だと描いたのです。
その後この本が明治になってから翻訳され、一気にガラシャ美人説が日本で広がったと井上は、述べています。
この指摘は、興味深いですね。
井上によると石田三成の軍勢に囲まれて、最後は、死んでしまったガラシャをキリスト教の殉教者として描きたかった宣教師側の論理があったとしています。
そういう殉教者は、必然的に美人ではなくてならないということだったのでしょう。
日本の歴史家もその説に追従して、美人説が拡散します。
有名な歴史家としては、明治以降の日本人の歴史観と形作ったと言われる徳富蘇峰も「近世日本国民史」の中でグラッセを引用して、ガラシャを美人だとしています。
その後、あまたの小説が書かれましたが、ほとんどがガラシャを美人だと描いてきました。
井上は、そんなガラシャ美人説には、キリスト教が寄与していると分析しています。
キリスト教は、日本では、信者の獲得には、決して、成功したとは言えませんが、日本人の歴史観には、影響を与えたことは間違いないというのです。
そしがやは、ガラシャは、当然のように美人だと思っていたので、この井上の文章を読んでかなり驚きました。
井上が言うようにキリスト教とガラシャ美人説誕生との間には、確かに関わりがあるように感じました。
ガラシャは、実際のところ普通の容姿の女性だったのかもしれません。
それにしてもガラシャは写真もないころの人物だから、今となっては、美人かどうか確かめようもないので、世間が思っているようにいつまでも美人であったほしいという気もしますね。
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