そしがやのリタイア日記

リタイアした公務員の日々の生活を書いていきます。学生生活、投資、などなどです。

「年収450万円が一番幸せだ」と年収8000万が語る理由

勤めているころの最高年収は、800万円でした。

55歳のころです。

その後は、横ばいで60歳の定年を迎えたわけです。

現在は、年金暮らしになったので、年収は、圧倒的に少なりました。

 

22歳で公務員でなったころは、月給は、10万円ほどでしたから、年収は、ボーナスを入れて200万円にも満たなかったはずです。

ですが、毎年のように給料は上がっていったので、不満はありませんでした。

明日は、給料は上がり、生活はよくなるという感覚があったのでしょう。

ですが、そんな感覚からすると800万円の最高年収を迎えた55歳のころが一番幸せだったはずですが、今思い出すとそうでもありません。

 

まだ給料が低かった30歳代から40歳代のころが一番幸福感があったと思います。

それは、仕事の責任がそれほどでもなく、ストレスが少なかったということがあるかもしれません。

年収額だけが必ずしも幸せの指標ではなかったいうことでしょうか。

そんな年収額と幸せについての記事を読みました。

president.jp

年収8000万円を超える人(40代・不動産)に「お金とストレス」についてお話を伺いました。1つ目のストレスは年収1000万円を超えたタイミングで訪れるという。年収450万円の頃と比較すると、年収は倍以上にもなったにもかかわらず、手取り額の比率は少なくなると感じる段階に入るようです。「年収450万円から1000万円まで駆け上がっていく過程では、思い切り仕事をし、達成感・評価などの幸福度合いは鋭角で高まったものの、1000万円を超え始めると、税金で取られる額が多いと感じ始め、幸せが鈍化するようになる」と述べます。

 

この記事で取り上げられている年収8000万円の不動産業の人の発言です。

年収8000万円というのは、そしがやにとっては、想像もつきませんが、年収450万円のころの方が思いきり仕事をして、達成感・評価などの幸福度合いは鋭角で高まったと述べています。

その後は、幸せが鈍化したとのことです。

 

これって、そしがやの感じたものにちょっと近いかもしれません。

年収450万円というと40歳代ころでしょうか。

そういえば、あのころが公務員生活で一番達成感があったかもしれません。

上司や同僚にも恵まれていた気がします。

その後は、責任ばかり強くなった気もします。

不動産業と公務員とは、簡単に比較できませんが、共通するものがあるように思えます。

 

年収5000万円を超える人(50代・金融)によれば、「年収1000万円までは一つひとつ山登りをしているようで楽しかったが、年収1000万円から3000万円にかけての感覚は、幸福度合い関しては“プラトーに達する”」といいます。1000万円まで駆け上がる過程に比べて、1000万円から3000万円に上がっていく過程では、幸福度合いが緩慢になるようです。

 

次は、年収5000万円の金融業の人のものです。

「年収1000万円までは一つひとつ山登りをしているようで楽しかった」と発言しています。

それ以降は、プラトーに達してしまったようです。

最初の不動産業の人と同じような発言です。

1000万円までの方が幸せ感があったというものです。

 

幸福感というのは、人によってさまざまなので、1000万円を超えても幸せ感が持続する人もいるかもしれませんが、この二人のケースが多くの人にとっての当てはまるように思えます。

そしがや自身の経験から言ってもそのような気がします。

 

年収450万円であろうが、1000万円を超えようが、取材を通じて感じるのは、年収によって「幸せ」を定義することはやはり、できないのでしょう。むしろ、年収450万円から山を登っていく、まさにその過程自体を幸せと捉えている人が多いと感じます。

 

この記事では、「年収450万円から山を登っていく、まさにその過程自体を幸せと捉えている人が多い」と取材の結果から結論づけています。

これって、そしがやも同感です。

 

また、多くの人が、「450万円くらいから1000万円まで駆け上がる“あの時期”を味わえるなら、もう一度味わいたいと漏らす」ともこの記事では、指摘しています。

ですが、その当時とは、年齢を経ているので、仮に同じ体験をしても同じような幸福感は味わえないでしょう。

この幸福感というのは、一度味わってしまうと二度と味わえないようなもののような気がします。

 

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