そしがやのリタイア日記

リタイアした公務員の日々の生活を書いていきます。学生生活、投資、などなどです。

東京の義母と地方暮らしの実母の老化スピードが違いすぎる

年に数回、実家のある田舎へ墓参りに行きます。

その時は、東京近郊にいる兄妹といっしょです。

田舎には、長兄がいるので、4人で墓参りをします。

そしがやの田舎というのは、公共交通手段が充分ではなく、車がないと何もできないところです。

長兄を見ていると買い物も通院もすべて車に乗っていくようで、歩くことは、あまりありません。

 

首都圏に住んでいる次兄と田舎に住む長兄とは、二人とも70歳代前半で1歳差ですが、いつのころから長兄がふけてきたな、と感じてきました。

見た目もそうですし、歩き方などの動作も長兄の方が次兄と比べると1歳という実際の年齢差以上のものです。

同じような感想を持った人がいたようで、こんな記事を読みました。

 

limo.media

都会に住んでいると、夜空を見上げても見られる星は限られていたり、意識して緑の多い場所に行かないとなかなか自然を感じる機会は少ないものです。一方、田舎暮らしの場合は、大自然に囲まれて健康的な生活を送れそうですよね。

しかし、地方に住んでいるからといって誰もが健康的な人生を送れるとは限りません。むしろ、老化のスピードを上げてしまう恐れもあるのです。今回は、筆者の両親と義理の両親を比較し、中高年世代の運動の大切さについてお伝えしたいと思います。

 

世間的には、田舎の方が健康的な生活を送れそうなイメージがあります。

ですが、必ずしもそうではないという指摘です。

 

結婚当初、両者の年の差をパソコンなどの道具を介して感じていた筆者ですが、実の両親の変化を感じるようになったのは65歳を過ぎてからのこと。今振り返ってみると、40代以降の積み重ねが影響していると感じています。

 

義理の両親と実の両親の年齢差を感じ出したのは、65歳を過ぎてからだといいます。

そしがやも二人の兄に対しては、そのくらいから年齢差を感じ始めたような気がします。

 

そういう住環境ということもあり、父と母は40代半ば以降、完全に自転車に乗らなくなりました。自転車で気軽に出かける距離にスーパーはあるものの、車で用を済ませるほうが楽だと考えていたのでしょう。車社会に浸って年を重ねていくと、「自転車に乗るのも面倒」と思うようになるようです。

 

地方の郊外に住む実の両親は、歩くことも自転車に乗ることもしなくなったようです。

 

こちらの二人はというと、車の運転をしている時代から普段の生活では自転車や徒歩で買い物などの用を足していて、車を使うのは親戚や子供達家族の家に行くなど遠出をする時に限られていました。お店に駐車するスペースがなかったり、道が狭いといった理由もありますが、車を使わなくても歩いてお店や病院に行ける環境というのが一番の理由です。

 

一方、東京に住む義理の両親は、自転車や徒歩ですべての用を足していました。

 

65歳を過ぎた頃から、筆者の両親は普段の買い出しや掃除など、日常的なことをするだけでグッタリすることが増えていきました。母もここ数年は疲れが取れにくくなっているのか、普通の家事でも「こんなことで横になるなんて・・・」と嘆いていました。

 

地方に住む実の両親の老いが目立ってきたといいます。

帰省の度に急速に老いていく姿を見ると恐怖さえ感じるとこの筆者は述べています。

 

10歳年上の義理の両親はというと、80歳を過ぎた現在も、足腰は丈夫で元気に近所のスーパーまで歩いて買い物に出かけています。「さすがに自転車は危ないから乗らないようにしたの」と笑いながら話す義母の姿は、約10歳年下の筆者の母よりも元気です。

 

東京に住む10歳年長の義理の両親は、足腰も丈夫で元気なようです。

 

二組の夫婦を見比べていくと、中年以降の運動量の違いが老年期の健康に影響していると感じています。義理の両親は、水泳やゴルフなどのスポーツをやっているわけではありませんが、普段から歩くことが習慣となっていました。

 

この二組の夫婦を見ているとこれまでの長年の運動量の差がこういう結果になったと分析しています。

田舎暮らしというと健康的な過ごせると考えがちですが、意外と車依存で運動不足になりがちな盲点があったということでしょうね。

 

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