ノーベル賞の時期になりました。
化学賞を旭化成名誉フェローの吉野彰さんが受賞されて、大きなニュースになりました。
9日のことです。
翌日は文学賞の発表で村上春樹の受賞が期待されましたが、2018年ノーベル文学賞は、オルガ・トカルチュク、19年のノーベル文学賞は、ペーター・ハントケに決定しました。
今年は、昨年分が選考委員のスキャンダルのためで受賞がなかったので、今年は、2年分の発表になりました。
ノーベル文学賞では、村上春樹の受賞をめぐって、日本では、毎年のようにメディアが盛り上がります。
ここ十年ほどは、こういう状態が続いています。
その影響を受けてか、そしがやのブログの記事で村上春樹に関する以下の記事が急にPVを増やしました。
そんな村上春樹ですが、こんなメディアの風潮に批判的な記事を読みました。
また今年も村上春樹氏のノーベル文学賞受賞は実現しなかった。それは確かに残念ではあるが、問題は受賞を逃した瞬間から特にテレビなどはあっさりとこの話題に幕を下ろしてしまうことだ。ここ10年はまるでお祭り騒ぎそのものだった。もちろん人々が文学に関心を持つことは大歓迎である。
これは、村上春樹研究者の宮脇俊文(66=成蹊大特任教授)のコメントです。
しかし、これまでの取り上げ方は村上氏に対するリスペクトを欠いていたのではないか。なぜ村上文学が世界で読まれるのか、その魅力はどこにあるのか? そうした真剣な議論が何もないまま、ただ騒いでいるだけのようだった。受賞することにしか関心がなく、あとのことはどうでもいいといった感じだ。これでは村上氏に失礼である。
宮脇氏は、ノーベル賞の時期だけお祭りのようになるメディアなどに批判的です。
もっと村上の著作への真摯な議論が必要なのではないかというものです。
そしがやもそういう風に感じてきました。
ほんとうに彼の受賞を望むのであれば、テレビはもっと真摯(しんし)に彼の作品と向き合うべきだろう。たとえば、『海辺のカフカ』や『ねじまき鳥クロニクル』などの大作の魅力を伝え、読者層が広がることを目指すべきだ。
まさにその通りでしょう。
こういう一時的なお祭り騒ぎになってしまうは、メディアの宿命かもしれません。
とはいえ、毎年のように同じことが繰り返されるのは、ちょっと文学の本質を見失っているような気もしますね。
関連記事