桐谷さんがテレビに出演するときには、見るようにしています。
忘れたころにしか登場しないのですが、毎回、楽しく見ています。
なぜそんなに桐谷さんに魅かれるのかというと、元棋士で株主優待で生活しているということと株主優待を使うために自転車で走り回るなどの愉快なキャラクターでしょうか。
一方、ネット上でも桐谷さんの記事は、よく見かけますが、ほとんどは、株主優待に限定したものが多いです。
テレビで紹介されるキャラクターとは、異なって、まじめに株主優待を紹介したものがほとんどです。
さて今回読んだ記事は、桐谷さんの株式経験を時系列で紹介したものです。
彼の株式経験は、断片的に紹介した記事は、読んだことはありましたが、トータルでのものは、初めて読みました。
株を始めたのは、プロ棋士として現役真っただ中の1984年。仕事として毎月1回、証券マンに将棋を指導していたのが縁で、株を付き合いで買うようになったのがきっかけだった。「最初は二十数万円ほどの投資でしたが、1カ月で5万円も儲かりました」。
その後、投資額を次第に増やしていくのと時期を同じくして、日本はバブル景気に突入。89年末には日経平均株価が4万円に迫る高値を付け、桐谷さんも大波に乗って約1億円の利益を得た。「自分は株の天才かもと思いました。まあ、その頃はみんな同じように思っていたんでしょうけどね」
桐谷さんの株式経験は、そしがやと大体重なります。
そしがやもバブル前に株をはじめ、最初は、かなり成功をしました。
自分は、天才だと思いました。
桐谷さんが言うようにそのころ株式をやった人は、みんなそう思っていたでしょう。
好調に乗じて信用取引も始めた。ところが、そこが相場のピークに。バブル崩壊で株価が下がる中でもどんどんと買った結果、利益の大半を吹き飛ばした。
そしがやも同じように利益をほとんど失いました。
株式に対する熱意がほとんど消えました。
もう新聞の株価欄を見ることもなくなりました。
03年からの小泉相場にもうまく乗り、06年初めには資産が3億円に達した。「株を買わなきゃ損だと思うくらい、気は大きくなっていたかも」。
この頃にそしがやは、老後のことを考え始め、個別株式ではなく、投資信託を始めました。
ですが、桐谷さんと同じように次のショックが襲います。
07年には57歳で将棋を引退。「そこで、これから株に全力を注ぐぞと信用取引も拡大させました」。しかし、まさに二度あることは三度ある。サブプライムローン問題とリーマン・ショックによる相場急落に巻き込まれ、ここで前述の「どん底」に落ちることになる。「1日に2000万円くらいのマイナスになることもありました。信用取引の追い証で、毎日何百万円と用立てなくてはいけない。とにかく手持ちの値がさ株をどんどん売って充てました。あんな恐怖は二度と味わいたくないものです」。
信用取引はしていなかったので、桐谷さんほどではないのですが、株価急落により投資信託が下がり、そしがやは、売るに売れない塩漬け状態になりました。
そんな状況の中で救いになったのが、手元に残していた金額が少ない株の優待品や優待券だった。「お米とか食事券、買い物券などのおかげで食いつなぐことができたんです。優待ってありがたいものだ、と心底思いましたね」。
こうした株主優待で助けられた経験が現在の株式優待中心の投資スタイルに変えるきっかけになったようです。
12年のアベノミクス相場開始以降は信用取引もやめ、優待&配当狙いを中心とした投資スタイルに完全に切り替えた。「儲かったところで調子に乗ると必ず痛い目に遭います。でも優待投資なら、もうそんなことはありません」。以降は、「優待+配当利回りが4%」という自分なりの売買の判断基準を守り続けて、資産を着実に回復してきたのだ。
桐谷さんは、その後株主優待株を中心とした投資スタイルに変えて、現在の成功になっています。
そしがやの場合は、アベノミクス相場で値を戻した投資信託をすべて売却しました。
今は、個別株式で高配当株を中心に所有しています。
こう見てくると桐谷さんとそしがやとは、重なる部分が結構あるな、と感じました。
これは、バブル前から株式をしてきた人はみな同じような体験をしているんでしょうけどね。
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