そしがやのリタイア日記

リタイアした公務員の日々の生活を書いていきます。学生生活、投資、などなどです。

大人になって勉強するのは、みっともなくても、やめない

ブログを書くようになって、他の人の書いたいろいろなブログを読むようになりました。

はてなブログには、読者になる、というシステムがあるので、こちらから読みに行かなくても、読むことができます。

 

そんなブログの中でよく読むものにすくろあさんのやっている「僭越ならが1つのテーマの本を30冊読んで勉強するブログ」があります。

その中の記事で「大人になって勉強するなんてみっともないことはやめなさい」がいろいろ勉強になったので、そしがやの感想を書いてみたいと思います。

 

sclo.hatenablog.com

 

ただ残念ながら、このブログは、すくろあさんの英語の勉強のため、今は、お休みになっています。

早い再開が望まれます。

 

最初、ブログの記事のタイトルがキャッチーなのが、インパクトありました。

これって、アクセス数の多いブログの鉄則ですよね。

普通大人になって勉強するのは、えらいという世間の常識があるので、それに真っ向から反するようなタイトルがそれこそ「エライ」です。

思わず何かなと引き込まれてしまいます。

 

さて内容を読んでみると、タイトルとは、中身は、かなり違うようです。

大人になったからの勉強をすべては、否定していません。

 

クリエジャパンの記事が元になっていますが、引用してみます。

 

「大人になっても勉強するなんてみっともないことはやめなさい」

そもそも、社会人になってから「もっと知的になりたい」と思って勉強するという姿勢自体が間違っています。
 歳をとってから教養書やビジネス本を読み漁って、「あの人は勉強好き」と言われるような人は、たいていの場合、学歴コンプレックスや仕事からの逃避に根差した「後悔の勉強」をしているにすぎません。都合のいい「弁解勉強」をしているだけです。きついことを言うようですが、30を過ぎたら、「勉強好き」というのは蔑視の言葉なんです。

(中略)
 本来、知の根幹を養うためには、学校での教育が不可欠です。「こんな勉強がなんの役に立つのか?」という疑問を封印し、社会のニーズから隔絶された場所に身を置く経験こそが、「考える力」を養うのです。あのホリエモンも、収監中に1000冊の本を読んだそうですが、そのように社会から隔離された環境でこそ「知の涵養」は行われるべきです。
COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2014年 02月号 [雑誌]
「大人になっても勉強するなんてみっともないことはやめなさい」 by 芦田宏直さん(哲学者)

 

この雑誌記事の著者の芦田さんは、勉強そのものを否定しているわけではなく、社会人になってからの「もっと知的になりたい」と思って勉強する姿勢が間違っているというのです。

世間から「あの人は勉強好き」といわれるような人を否定しているだけです。
学校教育やホリエモンのような社会のニーズから隔離された場所に身を置く勉強は、積極的に評価しています。
一種のエリート主義でしょうか。

みなが学校でしっかり勉強できるわけでもないし、ホリエモンのように収監されることも、幸いほとんどの人はないでしょう。

だから社会に出て、普通のサラリーマンをして、たまに本を買って、読んだり、有名学者の講演を聞いて勉強した気になっている、いわゆる「勉強好き」を否定しているだけです。

 

そしがやは、どちらかというと芦田さんから言わせると否定されるほうの存在でしょう。

この年齢で大学で勉強しているのですから。
それにしても、かなりショッキングな内容です。

何かある年齢(具体的には30歳)を過ぎてから大学に行っているすべての人を否定したような記事です。

何か救いようがないです。

もうすでに社会を出てしまった30歳を過ぎた大人はどうしたらいいのでしょうか。

もうすこし記事を引用してみます。

 

では、すでに社会に出てしまった大人は、どうすればいいのか?
 それは、自分の関心のある分野を、できるだけ「体系的」に学びなおすことです。書店で平積みになっている本ばかり読むような「読書ロンダリング」はやめて、ある分野の基礎から実践、対立する立場にあるさまざまな理論を含めて、時間をかけて読むことです。
 たとえばドラッカーに興味を持ったならば、経営理論のそもそもの成り立ちから、現在流行している経営学まで押さえ、大きな枠組みの中で、ドラッカーがどのような立ち位置にあるのかを理解するーーこれが体系的に学ぶということです。ポーターやコトラーも読まずに、ドラッカーを語るのは片手落ちです。
 「専門性を身につける」ということは、「体系的に考えることができる」ということと同義です。あることを腰を据えてじっくり学び始めると、しっかりした知識を獲得し、余程の自信を得られるまでは、自分の意見を発表しようとは思いません。そのテーマについて、先人たちがどのように思考してきたのか、よく咀嚼したうえで、自分の立ち位置を見つけなければならないのです。「専門家」とは、入力と出力のあいだに時間差を保てる人のことを言います。この時間差の広がりを「体系」というのです。
 逆に、その時間差がない人のことを、世間では「バカ」と呼んでいます。週末に読んだドラッカーについて、月曜の会議で発言してしまうような人間が、どんな会社にもいるものです。
(後略)
COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2014年 02月号 [雑誌]「大人になっても勉強するなんてみっともないことはやめなさい」 by 芦田宏直さん(哲学者)

 

なあ~んだ。こんなことなのか。

「体系的」に学びなおせば、いいのです。

ある分野の基礎から実践、対立する立場にあるさまざまな理論を含めて時間をかけて読むことです。

ここまでくれば、最初のタイトルとは、違ってごく常識的なことです。

何だか、タイトルにだまされたようです。

数冊読んだ本ですべてを知ったかのような、知ったかぶりをするなということでしょう。

そしがやは、いま大学で学んでいますが、「体系的」に考えることを実践していきたいと思っています。


でも、芦田さんが否定する「読書ロンダーリング」を否定する気はありません。

特定の分野だけを深く読むのは、一種の専門バカになってしまうような気もします。広く浅くいろいろな本を読んで、自分の興味のある分野は、深く体系的に勉強するが理想です。

芦田さんは、時間差がない人のことを、世間では「バカ」と呼んでいます、と書いていますが、ひとつのことだけを「体系的」に勉強して、他のことを知らない人も「バカ」ではないでしょうか。

一度芦田さんにうかがいたいですね。