公務員というと労働環境は、悪くないというイメージがあると思います。
そしがやも残業の多い職場は、幸いあまり経験することなく過ごしてきました。
ですが、40歳代のころにいた職場は、隣の係が残業の多い職場でした。
もし間違っていれば、隣の係に異動になっていたかもしれません。
ラッキーだったのでしょう。
その職場は、条例等の審査を行う部門で、仕事はハードな反面、エリート色の強いところでした。
だからそこの職員は、ちょっと付き合いにくい感じがしていました。
ですが、一人だけ、話しやすい職員がいました。
年齢は、そしがやよりも若かったのですが、よくしゃべっていました。
その職場を出てから、彼は、管理職試験に受かり、管理職になったと聞きました。
その後しばらく会っていませんでしたが、ある時、共通の友人から彼が亡くなったと聞きました。
自殺ということでした。
かなり驚きましたが、管理職になってから精神的に大変だったのかなと想像しました。
ですが、あんないい人が自ら命を絶つとは、信じられませんでした。
そんな同僚がいたのと同じような職場でやはり自殺した公務員の記事を読みました。
マー君の父、塚田浩さん(仮名)は、和歌山県橋本市の自治体職員だった。かかえきれない仕事の山に押しつぶされ、2000年3月に自ら命を絶った。当時46歳。働きすぎが原因でうつ病になり、最悪の結果に至る「過労自死」の典型例といえる。マー君が心からしたっていた「お父さん」は、どんな人だったのだろうか。
この記事は、父親が地方公務員で自死を選んだ息子の視点で書かれています。
幸せを絵に描いたような家族の暮らしが断ち切られてしまうとは、誰が想像できただろうか。転機は1996年春に「総務管理課文書係」に配属されたことだった。
職員の給料から市内の施設の運営まで、市政のルールは「条例」や「規則」で決まっている。それぞれに担当課はあるが、ともに条例・規則の文案をつくり、市議会に提出するのが文書係の主な仕事だ。行政文書に誤りやあいまいな点があってはならないが、担当課は条文の書き方には詳しくない。文書係が担う役割は大きかった。
この職場って、どの自治体にもありますが、まさにそしがやのいた隣の係が同じ仕事をしているところでした。
ですが、息子の父親の塚田浩さんは、3年後に体の不調を訴えます。
胃潰瘍です。
ここで無理をしなければ、悲劇は起きなかったでしょう。
無理がたたり、半年後の1999年11月に胃潰瘍が再発した。それでも浩さんは働き続けた。
2000年3月の議会に提出する条例案は、山のようにあった。夜の8時、9時ごろまで役所で働き、帰宅後も1時間ほど休んでから深夜1時ごろまで書斎にこもった。翌朝は5時起床。一日の睡眠は4時間ほどだった。
こんな生活は、そしがやには、耐えられません。
逃げ出してしまいますね。
ですが、塚田さんは責任感の強い人だったようです。
2000年3月の議会の直前になって、条例案の一部にミスが発覚しました。
部下が担当した部分だったのですが、塚田さんは大きな責任を感じました。
そのあとで塚田さんは、自らの命を絶ちます。
彼は、その係の係長だったのでしょう。
誰にも相談できず、自分で重荷を抱え込んでしまったようです。
それにしても何とかできなかったのでしょうか。
最初に取り上げた隣の係の同僚も同じように悩んでいたのかもしれません。
管理職になって、誰にも相談できなかったような気がします。
自分の弱さを見せることができなかったのでしょう。
こういう記事を読むとそしがやの公務員人生は、ラッキーな面があったと感じます。
もしあの時隣の係に配属になっていたらどうなっていたかと考えると、ちょっとこの記事は他人事ではないです。
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