以前通っていた大学のシニア向けのクラスには、配偶者を亡くした人が結構いました。
女性が多かったのですが、男性もいました。
そしがやの在籍していたゼミでは、13人中、2人が夫を亡くした女性でした。
そんな配偶者を亡くした人のことを「没イチ」というようです。
今まで耳にしたことのない「没イチ」という言葉のきっかけになったのは、以下の本からのようです。
「没イチ」は、離婚した人をあらわす「バツイチ」から連想したものでしょうが、なかなかうまいネーミングだと思います。
最近は、いろいろな新聞の記事等でも取り上げられているので、一般的に使われる言葉になりそうです。
そんな没イチですが、バツイチとは、違った思いがあるようです。
その没イチをテーマにした記事を読みました。
妻が他界後、晩ご飯は外食
(前略)
ここは、厚木市内に住む三橋建一さん(79)が、ほぼ毎日、晩ご飯を食べている場所だ。週3回は、博士号を取得するために通う都内の大学院からの帰宅途中に直行し、それ以外の日は、駅から約5キロ離れた郊外の自宅からバスに乗ってやってくる。どの店に入るかは、前夜のメニューとだぶらないことと、その日に飲みたい酒の種類で決める。
この記事では、本厚木駅周辺で毎夜、夕食を食べる男性に焦点を当てています。
外で晩ご飯を食べるようになったのは、1歳下の妻が他界し、一人暮らしになった2011年9月ごろからです。
「家族全員の夕食」徹底した会社員時代
息子に次いで娘が生まれた約40年前、小高い丘の上にある一戸建てを購入。専業主婦の妻は母譲りの料理上手で、結婚してからも教室に通って腕を磨き、三橋さんの胃袋を満足させた。特にだしの取り方がうまく、汁物や鍋物は最高だった、という。
29歳で結婚した三橋さんは、一家の主として、家族全員で晩御飯を食を食べることを徹底させたようです。
ですが、そんな生活も妻の病で一変します。
妻が闘病、初めての料理
そんな生活が一変したのは、子どもたちが独立し、三橋さんが定年退職した後の62歳の時だった。夫婦水入らずの時間をどう過ごそうかと考え始めていた矢先、妻に子宮体がんが見つかった。
妻が自宅で闘病生活をするようになったので、三橋さんは、自分で料理をするようになりました。
妻に指示されたり、料理番組を見て、作ったようです。
ですが、総菜は、ほとんどデパ地下で買ってきました。
ですが、8年間の闘病の末、妻が先立つと、三橋さんは、料理はほとんどやらなりました。
三度の食事の支度にかける時間があまりに膨大で嫌になったとのことです。
昭和の食卓に郷愁を感じ続けた
あれから7年。妻がそばにいないさみしさは、年を追うごとに強まっていく。今、冷蔵庫の中には牛乳と卵と食パンぐらい。食事は気づけば朝晩の2回に減った。
三橋さんは、一人になってからは、自宅では寂しいので、夕食は、駅前で食べる生活を続けています。
それは、妻や子供たちといっしょに食事をしていたころが懐かしいということもあるようです。
それに経済的にも恵まれていることもありますね。
普通の年金暮らしだと毎夕食、外食は無理でしょう。
ずっとこの記事を読んでくると、配偶者を亡くした没イチの男性の思いが伝わってきますね。
そしがやもいつかは、夫婦のうち、どちらかが亡くなるでしょう。
もし、妻が先立ったら、この男性の気持ちがもっとわかるような気がします。
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