陰謀論というのがあります。
ある事件の黒幕には、別の人間がいて、その事件を操っているというものです。
例えば、坂本龍馬の暗殺は、見廻組が犯人だというのが定説ですが、その黒幕には、薩摩藩がいるといったような説です。
テレビの歴史番組でもこのような説は紹介されています。
冷静に考えればあり得ないのですが、なぜか人を引き付けるようです。
今回、そんな陰謀論を史料に基づいて、論破した本を読みました。
「応仁の乱」で有名になった呉座勇一によるものです。
この本では、日本の中世の有名な事件の陰謀論を取り上げています。
例えば、本能寺の変に関しては、朝廷黒幕説、足利義昭黒幕説、イエズス会黒幕説、家康黒幕説と紹介して、それぞれを史料に基づいて考察していって、論破していっています。
このことからすると本能寺の変は、明智光秀の単独説しかありえないと分かります。
それにしてもいろんな説があるものだと、驚かされますね。
最後に、著者は、こんな陰謀説が流布するのには、いくつかの理由があると述べています。
「因果関係の単純明快すぎる説明」、「論理の飛躍」、「結果から逆行して原因を引きだす」の3つです。
確かによく目にする陰謀説は、この3つのいずれかに当てはまります。
そんな陰謀説が広まるのは、「単純明快で分かりやすく」、「歴史の真実を知っているという優越感を抱ける」からだとしています。
例えば、最初に例として挙げた坂本龍馬暗殺の黒幕が薩摩藩だというのは、幕府の武力討伐を主張していた薩摩藩にとって、幕府も入れた政府を考えていた竜馬は、邪魔だったから暗殺してしまうというのは、単純明快でとても分かりやすいです。
ですが、現実に残されている史料もなく、実際の犯人であった見廻組の生き残りからそういう証言もないので、ありえないものです。
またそういった陰謀論が生き残ってきたのは、歴史学の専門家が陰謀論を暴いても研究業績にならなかったことも理由としてあるとも指摘しています。
歴史学のアカデミズムにとっては、余計な仕事だということでしょうか。
今後は、江戸時代以降の陰謀論も取り上げてほしいですね。
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