勤めているころは、愛想がよかったです。
これは、愛想よくしないと相手に嫌われるのが怖かっただけだと思います。
仕事に影響が出てくるのではないかとも考えていたせいもあります。
愛想よさを演じていたのです。
ですが、仕事を辞めてからは、無理に愛想よさを演じる必要もなくなり、時として無愛想な時もあります。
これが本当の自分なので、精神的に楽です。
仕事をしているころは、無理していたようです。
愛想よくすることで大分ストレスが溜まっていました。
そのせいか辞めてからは、人間関係も大分楽でそんなに悩むこともなくなりました。
無論、人間関係が減って、嫌な奴と付き合わなくてもよかったということ大きいです。
ですが、時々勤めているときにもっと無愛想だったら、どうだったかな、と考える時もあります。
こんな記事を読みました。
「愛想の良い人」は本当に他人のことを考えているのだろうか?いや、そうではない。彼らはただ「他人に嫌われないために愛想を良くしているだけ」なのだ。いつも他人基準で行動をしているため、自分のやりたいことができない、言いたいことが言えない、我慢してしまう、怒れない、オープンになれない、といった悩みが出てくる。
「他人に嫌われないために愛想を良くしているだけ」というのがまさに仕事をしている頃のそしがやの姿でした。
だから自分自身の気持ちをはっきり言えないという悩みをもっていました。
ここでいう「無愛想になる」とは、他人がどう思うかではなく、自分がどうしたいのかを大事にするということだ。
無愛想というもマイナスイメージがありますが、ここでは自分がしたいことを大事にすることだと述べています。
肯定的にとらえています。
仕事をしている頃にこういう考え方ができていればよかったなあ、とも思います。
ですが、今は、リタイアしたおかげで、「無愛想になる」ことができています。
これは、リタイアして、よかったことの一つです。
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