そしがやのリタイア日記

リタイアした公務員の日々の生活を書いていきます。学生生活、投資、などなどです。

やはり龍馬は「剣の達人」ぜよ 北辰一刀流「免許皆伝書」の存在示す文書確認 〝論争〟ついに決着!?

坂本龍馬というと幕末の英雄でも一二の人気を争う人物です。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が書かれてからこのような人気が生まれたといわれています。

そしがやも中学生のころにその小説を読んで、幕末にもこんな人物がいたんだと感動した思い出があります。

 

 

小説というフィクションにもかかわらず、この小説で龍馬について書いてあることがすべてが正しいと思い込んでいました。

あとでいろいろな本を読むと龍馬について今の人間が信じているかなりの部分が司馬遼太郎の創作だということを知りました。
まさに司馬史観おそるべし、です。

 

さて、そんな龍馬が剣の達人だったかどうか、については、諸説ありました。
千葉道場の塾頭まで勤めた男だったから、剣の達人は間違いないという説と実際に剣を使わず、拳銃を持ち歩いていたので、そうではないという説とです。
msnニュースに免許皆伝書の存在を示す文書が確認されたという記事が載りました。

 

www.msn.com

内容をすこし紹介してみます。

 

幕末の剣豪、千葉周作が創始した「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」の免許皆伝書を坂本龍馬が取得していたことを示す文書を、高知県坂本龍馬記念館が初めて確認した。千葉一門の道場で剣術を学んだ龍馬は、後世の証言などから剣の達人だったとする説がある一方、剣術の皆伝書が現存しないため疑問視する説もあった。剣の達人だったことを裏付ける貴重な史料になりそうだ。

 

龍馬ファンには、うれしいニュースですね。

免許皆伝を確認できる文書が発見されたのですから。
ただ免許皆伝書そのものは、以下の記事によると焼失してしまったようです。

これは、ちょっと残念。

さらに、別の展覧会に出品した(龍馬の)遺物の目録(昭和4年)では、「千葉周作ヨリ受ケタル皆伝目録ハ全部焼失セリ 於釧路市」と書かれていた。これらの記述から、大正2年に釧路で起きた大火で坂本家が延焼した際、剣術の皆伝書は焼失したとみられる。現在、北辰一刀流の長刀の皆伝書は残っている。

 

龍馬が剣の達人だった可能性が高まりましたが、龍馬にとっては、免許皆伝書があるかどうかは、大して重要ではなかったような気がします。

もう幕末が剣の時代ではないと思っていたでしょうし、どんな剣の達人も拳銃の前には、対抗しようがなかったとわかっていたでしょうから。

でも、こんなふうに考えるのも、司馬史観に基づいた龍馬像かもしれませんが。